第百五章 風の帰国
成田国際空港。
朝のロビーは、静かなざわめきに包まれていた。
エスカレーターを降りてくるひと組の姿に、
すでに集まっていた報道陣たちが、いっせいにカメラを構える。
──真木あやの、凱旋帰国。
サント・ヴァン、ウィンド・スコア、Silent Requiem、あの“無名のハミング”を奏でた少女が、
ついに日本に戻ってくる。
彼女の傍らには、無骨なスーツケースを片手に、
長身の青年──梶原國護がぴたりと寄り添っていた。
あやのは、サングラスもマスクもせず、
ただ淡いグレーのコートを羽織って、まっすぐ前を見ていた。
「フラッシュ、多いね」
「……大丈夫。怖くない」
梶原の小さな声に、あやのはうなずいた。
記者たちがざわつき始める。
「真木さん、今のお気持ちは!?」
「国内での音楽活動の予定は!?」
「梶原さんとは、どういうご関係で──」
その瞬間、あやのは立ち止まり、
静かに、ゆっくりと振り返った。
記者たちが一瞬ざわめきを飲む。
その瞳は、まっすぐだった。
まるで──彼らの問いすべてに、最初から**“沈黙で応える”**と決めていたかのように。
ふ、と。
あやのが、小さく微笑む。
「ただいま、って言いにきただけです」
その一言で、空気が変わった。
記者たちは、カメラのシャッターを切ることも忘れて、ただ、その言葉の余韻を聴いていた。
梶原が静かにその腕を伸ばし、あやのの鞄を引き受ける。
「行こう。司郎さん、空港で待ってるって」
「……うん」
ふたりは群衆を抜け、迎えの私設出口へ向かう。
人混みの中を、ただのひと筋の風のように。
──その先には。
4階建てレンガの幽霊ビル、出る事務所の再始動が待っていた。




