第百四章 司郎、通話越しに殴る
パリ、昼下がり。
食器を片付け終えたあやのが、スマホを手にした瞬間、
着信画面には──
【司郎 正臣】
着信音がやたらけたたましい。
本人が設定しているのか、電子音が「ウチノコハダイジョウブカ」みたいに聞こえるのは気のせいだろうか。
通話をタップした瞬間──
「ちょっと、あんた今どこで何してんの!?」
開口一番、司郎の声がパリの空に鳴り響いた。
耳が取れるかと思うほどのド迫力。あやのは思わずスマホを離す。
「お、おはようございます、司郎さん……」
「はいそこ! その“微妙にしおらしい声”、何よ!あたしの知らないところで何があったのよ!? パリの空気に女の子モード解禁されてんじゃないでしょうね!?」
「いえ……そんなこと……!」
「言っとくけどあたしは昨日の夜から“なんかあやののオーラがふわっとしてきた”って感じてたからね!?
何よその髪型! 首筋が見えるとか何事!? ちょっと梶原、あんた何したの!?」
画面越しに梶原が映り込むと、司郎はガン見。
「おいコラ、見てるぞ。
あんた、あたしの可愛いあやのを“女の顔”にしたでしょ!?」
梶原は無言で一礼。
「……え、はい。ちゃんと責任は取ります」
「取らなくていいのよそういうのは!そういう話じゃなくてね!?あたしの知らないところであやのが“乙女の目”になってるとか耐えられないのよ!」
「司郎さん、あの……落ち着いて……」
「落ち着いてるわよ!? これでも冷静よ!? でも耐えられないのよーッッ!!」
そしてついに──
司郎、iPad越しにお茶をぶちまけるパフォーマンス。
「よいしょ……はい、怒りのほうじ茶ぶっかけ! 怒ってるあたしに気を使って、誰かカップラーメンでも用意しときなさい!」
そのあとも30分にわたり──
「乙女になるあやの可愛いけど!可愛いけど!!それはそれとして報告は義務!」
「梶原、あんた嬉しそうだけどまだプロポーズしてないわよね!?この娘、たまに照れて逃げるから見失うんだからね!」
「今度ふたりでご飯作ってくれるんでしょ!?ねえでしょ!?約束してないのに確信してるけどいいでしょ!?」
と、“怒り80%・愛情100%”のトーク爆弾を炸裂。
最後はヘイリーまで通話に参加してきて、
「シロー、落ち着いて! ふたりめっちゃラブいだけでしょ!? むしろ何で今まで何もなかったの!?」
「違うのよヘイリー! これはね、あたしの育てた超高級盆栽に誰かが“愛の肥料”とかいって勝手に与えた気分なのよ!」
「え、それむしろ良く育つじゃん」
「だからムカつくのよー!」
あやのは苦笑しながら、端末の向こうに向かってぺこりと頭を下げる。
「……司郎さん。ありがとうございます。
ちゃんと……幸せになりますから」
その一言に、司郎の口調がふっと和らいだ。
「……なら、いいのよ。
……でもあんたが泣いたら、世界のどこにいようと瞬間移動で殴りに行くわよ、梶原」
梶原は神妙にうなずく。
「そのときは、どうぞご遠慮なく」
通話が終わったあとも、しばらく部屋には笑い声の余韻が残った。
愛情過多な司郎からの茶々は、あやのにとって、なにより安心する祝福だった。




