第九十八章 沈黙の余韻、響きわたる声
帰還から三週間。
あやのたちはパリに戻り、短い休息をとっていた。
朝のカフェ。
テレビの音量が上がり、バリスタがリモコンを握ったまま目を丸くする。
《…極地建築“贈音プロジェクト”、国際文化建築協会の特別審査員賞を受賞──
関係者によると、建築は“再生される沈黙”として構造的にも文化的にも画期的だと評価…》
《“忘れられること”を前提とした建築が、“記憶されること”へと反転する。
それは、音の哲学的再定義だ──》
ヘイリーがフルーツジュースを持ったまま叫んだ。
「ちょっと、新聞見た!? 文化欄、3段抜きで“沈黙の記録者たち”ってタイトルになってる! あたしたち、詩人扱いよ!」
梶原は黙ってコーヒーを飲んでいたが、横でスマホに届いた通知を司郎に見せた。
「……アメリカの建築批評誌、《AURA》が特集号組んでる。“Resonant Tombs”って。墓じゃないって言ったのに」
「勝手に名付けるのよねぇ、他人ってやつは」
司郎が軽く鼻を鳴らす。
「でもまぁ……“意味が消えない構造体”ってのは悪くないわ」
ユハからはメッセージが届いていた。
“あの少年の学校で、歌の授業が始まりました。
建築をきっかけに、“音の贈り物”という概念が教材になっています。
どうやら、あの声は次の世代にも届いたみたいです”
あやのはその文を読んで、そっとスマホを伏せた。
そして、静かに呟いた。
「……届いたんだね」
メディアだけではなかった。
SNSでは「無音の建築」や「記憶されない声に形を与える建築」として話題に。
音響設計の専門家、言語人類学者、アーティストたちが議論を始めていた。
「贈音」は録音に勝る記憶か?
設計とは、未来の誰かへの“手紙”たり得るのか?
建築は“声なき者”の代弁者になれるのか?
司郎デザインのチーム名は公表されず、プロジェクト名も匿名のままだった。
それでも、人々はその名もなき構造体の中に「何か」を感じ取っていた。
司郎は朝食の皿を下げながら言った。
「さて、世界に名が売れてきたわ。面倒くさくなってくるわよ、これから」
「でも、それでも“声が残った”ことは、よかったと思います」
あやのの言葉に、司郎は笑った。
「……声が残ったんじゃない。
声が“これからも生まれる場所”を作ったのよ、あたしたちは」
窓の外には、パリの光。
あやのはそのまま目を閉じ、深く深呼吸をした。




