表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星眼の魔女  作者: しろ
196/508

第九十四章 贈音(おくね)の道

翌朝、氷原に仮設した調査テントの中。

あやのは、録音した“消えた旋律”を何度も再現しようとしていた。

だが──音は毎回、少しだけ違う。どれも「似ている」が、同じではない。


「……おかしい。再現できないんです」

と、あやのはヘッドフォンを外す。


「それって、物理的に?」とヘイリーが尋ねる。


「いえ、感覚の記憶だけがあって、再現の“芯”がない。まるで……誰かの気持ちだけが届いて、肝心の旋律の骨格が消えてるみたいで」


「情緒だけ先に来ちゃったパターンか。あるわね、失恋ソングとかに」


「それとこれは違うと思います……」


そこへユハが、ひとつの古びた木箱を持ってきた。

北部サーミの資料館から借り出した、“口伝音の記録品”だ。


「これは“joikヨイク”と呼ばれる、サーミの古い歌。名前を持たない旋律で、誰かのこと、どこかのこと、何かの感情を“歌う”だけのもの。詞がなく、メロディも即興に近い。でも──“その人だけの声”として残される」


あやのが、そっと木箱の留め具を外すと、中には

羊皮紙に模様のように描かれた音の線刻があった。


「旋律じゃない……振動の記録?」


ユハが頷く。


「それは“贈音おくね”と呼ばれる形式。この土地では、歌うこと=“音を贈る”行為だった。言葉を記さず、旋律も残さない。ただ“音の気配”だけを、未来へ送る」


司郎が珍しく静かに言った。


「……つまり、この地の“建築”は、録音でも楽譜でもなく、“空間そのものに音を贈る”ための容器なのね」


「そう。“空間が受け取る”んです。聞き手がいなくても、いつか誰かが耳を傾けると信じて」


その言葉に、あやのの胸が少し震えた。


(……私の歌も、どこかで、誰かのもとに届くのかな)


その夜、仮設テントの中で。

あやのは一人、息を吐き、贈音の儀に倣ったハミングを始めた。


旋律ではない。

ただ、想いのままに、ひと息ずつ、重ねていく。

気温は氷点下30度。音は空気に乗るだけでなく、氷に染みていく。


そのとき、あやのの背後で、誰かが微かに呼吸する音がした。


振り返っても、誰もいない。

だが──雪の下の音響センサーが、震えるように数値を弾いた。


「……受信、した?」


外では風が、あやのの旋律を追うように吹いていた。

まるでそれを、“記録”するかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ