第九十一章 白い地平、沈黙の起点
着陸と同時に、飛行機の外は白に包まれた。
ラップランド最北の滑走路。
風速は常時15メートル。気温はマイナス22度。
滑走路の周囲には何もなく、ただ凍った森と低い雲。視界は遠くまで続くのに、音はほとんど存在しない。
「あっさむ!! しんじゃう!!」
真っ先に悲鳴を上げたのはヘイリーだった。機内で着膨れしたまま降りたせいで、荷物を落としかける。
「喋るから口の中が凍るのよ」
司郎がマフラーで顔をぐるぐる巻きにしながら言う。
「……よくこんな場所選んだな、クライアント」
梶原が荷物を担ぎながら呟いた。
あやのはというと、黙って風を聴いていた。
雪が音を吸ってしまう。まるでこの大地そのものが「沈黙」を求めているようだった。
そのとき、スノーモービルの音がかすかに響いた。
しばらくして、白銀の地平から現れたのは、一台のソリトラック。
運転席から現れた人物が、防寒フードを外して微笑んだ。
「──Welcome. You must be Shiro Design.」
流暢な英語。年齢は30代半ば、長身で目つきが鋭い。
だがどこか、音に対して異常な感覚を持っているような気配があった。
「わたしはユハ・コスキ。現地での技術通訳と、民族音資料の管理担当。よろしく頼むよ」
司郎が片眉をあげる。
「この地で……“音を建てる”ことに反対の人間も多いと聞いてるわよ」
「当然だ。ここは“音を隠す”ための土地だから。だが、その沈黙の価値を守るためにも、君たちのプロジェクトが必要なんだろう」
「話が早いわね」
「そちらの女性が、“あやの・マキ”か?」
ユハはあやのに目を向ける。
あやのはマフラーの奥から小さく微笑んだ。
「……音のない場所で、音を聴く。あなたも、それを望んでるんですか?」
ユハは少しの間黙って、空を見上げた。
「……氷の下には、100年前の祈りの歌が残ってる。掘り出さず、壊さず、聴けるなら──その奇跡を見てみたい」
一行は、荷物を積み込みながら、氷原の先にある仮設拠点へと向かう。
そこにはすでに、極寒用のドーム型シェルターと、風を拾うための実験的マイクロフォンが並んでいた。
「ここからが本番よォ!! 物理と音と氷と感情がごっちゃ混ぜの大工事ィ!!」
司郎の声が吹雪にかき消されながら響く。
そして、あやのは立ち止まって、雪の下に耳を当てた。
ほんの一瞬、耳の奥で、何かが“微かに歌っていた”。
それが人の声なのか、大地の反響なのか。まだ、誰にもわからなかった。




