第八十二章 音にならない証言
プロジェクトに監査局の調査官団が入ったのは、フェルナンの離脱から4日後だった。
財団との連携を断たれた状態で、あやのたちは自力でプロジェクトの存続を主張しなければならなかった。
審問の場には、各国の助成担当者、文化庁系統の実務家、そして──甲斐雅人の影響下にあるスポンサー団体の代表が並んでいた。
「《風の共鳴》設計は、技術的にも実用性に乏しく、都市景観との整合性も確保されていない」
「共鳴構造は市民のプライバシーを侵害する恐れがある」
「公共資金を投入するに値する文化的根拠が乏しい」
浴びせられる言葉の数々は、どれも整っていた。
冷たく、正論に見せかけて、“風”そのものを拒絶していた。
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その中、あやのはただ一言も発せず、静かに立っていた。
彼女の隣には、司郎と甲斐。
梶原は後方から、建築模型と回廊の空気録音装置を整備していた。
誰もが彼女が何を言い出すかに注目していた。
だが──あやのは語らなかった。
代わりに、小さなポータブルデバイスを机に置いた。
それは、風の柱に隠されていた“声”。
焼け跡から拾われた断片的な記録。
そして、今も現場に響く「誰かの気配」の音の重なりだった。
風が鳴る。
建物の軒先を撫でた風が、揺れる布を通って通気孔へ抜け、
スリットの間をくぐる──
その一連の音の中に、微かに混ざる声たち。
──「助けて」
──「聞こえていますか」
──「ここに、いた」
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沈黙が、部屋を満たした。
あやのは語らないまま、視線を上げた。
「この音を、聞いてください」
甲斐が静かに言った。
「我々の設計は“この声たち”を、残すためのものです。言葉ではなく、“いたという痕跡”を──風に託して、聴かせる」
「これが不要だというのなら、それは、“声なき者を不要だと言う”のと同じです」
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審問室にいた関係者たちの中で、
一人、老婦人が静かに手を挙げた。
元区画C住民代表、リマ・カスティージョだった。
「20年前、私の姉は強制移住の最中に姿を消しました。行方はわからず、死亡届も出されないまま……彼女の“痕跡”は、この町から消えました」
「でも、今朝ここに来る途中の風の中で、私は聞いたんです。あの子の笑い声を──空き地の通気口から、確かに」
「記録は証明にならない?じゃあ私の記憶は?私の“確かに感じた存在”は、証拠じゃないのですか?」
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その瞬間、場の空気が少しだけ、揺れた。
誰もが知っていた。
設計はすでに、“評価”の対象ではなくなっていたことを。
それはもはや、“沈黙をどう扱うか”という──人間の倫理の問題だった。
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審問は保留となった。
プロジェクトの即時停止は見送られた。
だが同時に、最終判断はパブリック・レビュー──公開審査に委ねられることとなる。
その発表の日は、一週間後。
「つまり……風を見せなきゃいけないってことね」
司郎が唇を歪める。
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あやのは頷いた。
「風は“目に見えない”けど……“通ったあとは、残る”」
「だから、その跡を見せればいい。あの人たちに、“自分の声が届いた”って感じてもらえるように」




