第八十章 封じられた時間に、風が触れた
二度目の破壊は、予想を遥かに超えていた。
明け方、風のルートに組み込まれていた**レゾナンス・タワー(共鳴柱)**が、
根本から倒されていた。
人の手では不可能な作業──
基礎のコンクリートが掘り返されており、鉄筋は丁寧に切断されていた。
そして現場には何も残されていない。ただ、風の音だけが唸っていた。
「これは……もう、業者の範囲を超えてる」
梶原が低く呟いた。
「しかも、柱の土台の中に……これを埋めたのは誰だ」
彼の手には、小さな金属板──古びたカセット型レコーダーの内部ユニット。
そこには、ひとつの音が残されていた。
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夜。
仮設オフィスで、その“音”が再生された。
「……やめて、お願い……ここにはまだ、子どもが──!」
それは、20年前の事故に関係する住民の断片的な声だった。
火災が起きたのは、当時開発が強行された“旧住区ブロックC”。
公式には“漏電による出火”とされたが──この声が本当なら。
「……逃げられなかった人たちが、いたってこと?」
あやのが呟いた。
「“事故”じゃなくて、意図的な封鎖だった可能性がある」
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司郎は、いつもの冷静なトーンで言った。
「なら、それを“音で残した”誰かがいたってことよ」
「つまり、誰かは“叫んだ”。
だけどそれが届かなかっただけ──ね」
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甲斐が、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「このデバイス……たぶん“あの時の住民”が、柱に仕込んだんだ。誰かがいつか、気づくことを信じて」
「この建築を、声が辿り着く場所にするために──いま壊そうとしてるやつらが一番恐れてるのは、きっと“これ”だ」
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梶原が顔を上げた。
「つまり、この“風のルート”を壊した奴……最初からこの音源の存在を知ってたってことになるな」
あやのが、ふっと目を伏せた。
「じゃあこの場所、まだ“全部は喋ってない”ってことだよ。……もっと、聞こえるはずの声がある」
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夜、あやのは現地の風のスケッチを重ねながら、
「建築のどこに声を宿せば風が正しく伝えるか」を模索していた。
風は、ただ流れるだけじゃない。
音を拾い、誰かの耳に運ぶ。
沈黙を、通訳する力がある。
彼女はそれを信じていた。
そして、甲斐が小さく言った。
「……こんなこと、父さんが知ったら、どう動くと思う?」
「知らなかったら壊し続ける。
知ったらもっと恐れて、今度は“人を狙ってくる”」
司郎の言葉に、張りつめた空気が沈黙する。
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だが、その時。
風が──“音のない共鳴”を残していった。
スリットの間をすり抜けた空気の流れが、微かに共鳴した。
それは、まるで誰かの**「ありがとう」**という声のように響いた。
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あやのはそっと手を胸に置いた。
「……まだ終わってない。
風が教えてくれる限り、誰かはここで“生きてた”って言える」
それが、この建築の使命だった。




