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星眼の魔女  作者: しろ
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第十七章 朝の光、掌の記憶

朝の光は、壁の白をほんのり桃色に染めていた。

街の喧騒がまだ完全に動き出す前の、息をひそめたような時間。

「出るビル」の三階角部屋に、また新しい朝がやってきていた。


真木あやのは目を開けるよりも先に、光を感じていた。

まぶたの裏で、静かな光が波のようにゆれていた。


ゆっくりと身体を起こす。

ふわふわの毛布が滑り落ち、肩に朝の空気がふれる。


前の晩――

誰にも気づかれずに置かれた贈り物のことを思い出す。

机の上を見ると、整然と並んだ鉛筆たちが、まるで整列して朝礼を待っているようだった。


あやのは小さな音を立てないように椅子に座ると、竹ペンを一本手に取った。

手の中で触れた瞬間、木のぬくもりが掌にしっとりと吸い付いた。

軽くて、なめらかで、けれどどこか野性の芯が残っている。

きっとこれは、梶くんが遠野の山の中から拾ってきた枝を、夜な夜な削って仕上げたのだ。


ペン先を紙に落とす。

何を書くでもなく、線を引く。

まるで音符を描くように、音の輪郭をなぞるように――


彼女の手は自然と動いた。

曲線。短い旋律。建物のシルエット。

誰かの足音、眠りの影、朝の光。


やがて、机の上の紙は音と記憶で満たされていく。


笹の葉の香りも、まだ微かに残っていた。

鬼まんじゅうの包みを開けると、素朴な甘さがふわっと鼻に抜ける。

一口かじると、芋の甘みがやさしく口の中に広がった。


「おいしい……」


声に出すことはなかったが、あやのの表情に言葉はあった。

微笑みの奥に、安心と、感謝と、どこか子どものような安らぎ。


そう――この部屋は今、ただの「住まい」ではなかった。

見えない線が、誰かと繋がっている。

この静けさには、他人の気配が、静かに棲みはじめている。


そう思ったとき、不意に――


「トイレ使っていい?」


と、階段の下から叫ぶような司郎の声が響いた。


「おっさんの朝は早いのよ!」


あやのはふっと笑った。

世界がまた、動きはじめている。


さあ、今日も、音を集めに行こう。

それは、建物の声かもしれないし、誰かの無言のまなざしかもしれない。


彼女の一日は、いつだって“音”からはじまるのだ。

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