第七十四章 沈黙の声を聴け
正式決定から数日。
《ウィンド・スコア》──風に共鳴する都市庭園建築プロジェクトは、
パリ市近郊の旧鉱山跡地に設けられた自治区の一角にて、建設準備を始めていた。
候補地はかつて炭鉱労働者の町だった場所で、
産業衰退と移民政策の失敗によって、今も複雑な民族と貧困の問題を抱えている。
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パリ市庁舎でのブリーフィング。
あやの、司郎、梶原、甲斐、そして通訳兼文化顧問の担当者が揃う中、
地元代表の発言が、通訳を通して厳しく告げられた。
「“声が風に乗って響く”などと美しい言葉を並べても、
それはここに生きる私たちの痛みを知らない発想だ」
「あの空き地は、私たちの子どもが遊ぶ最後の広場だった。
建築の実験のために、それを壊すというのか?」
「あなたたちに、ここで“聴く”耳があるとは思えない」
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沈黙のなか、あやのはひとり立ち上がった。
「……私たちが作ろうとしているのは、“聴くための建築”です。もしその声が届かないなら、建てる資格はないと思っています」
そう言って彼女は、設計スケッチと共に一枚の紙を差し出す。
「初期設計案の中に、この“広場”を残したまま設計を組み込む案があります。
私たちが壊すのではなく、あなたたちの声を“通す建築”にするために、対話させてください」
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その言葉に対しても、地元代表の表情は厳しかった。
だが、その傍らにいたひとりの女性が、ふと呟く。
「──あの子、耳がいいのかもしれないわ」
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その夜、仮設事務所に戻ったあやのたちは、疲れたようにソファに腰を下ろした。
司郎が煙草を取り出しそうになり、思い出してやめる。
「このプロジェクト、思想や芸術だけじゃ通らないってことねぇ……」
「現実は甘くないな」
と梶原が呟く。
甲斐は何も言わず、地元コミュニティの地図を睨みつけていた。
あやのは、静かに言った。
「……でも、声は確かに“あった”。
だったら、それをちゃんと風に通せる建築にする。
最初からそのつもりだったよ、私は」
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彼女の瞳は、遠い妖怪の里で、声なきものたちと生きてきた日々を思い出していた。
そこでは、言葉を持たぬ者も、気配だけで語り合っていた。
声とは、形のあるものだけではない──
聞こうとする気持ちこそが、建築の始まりなのだと。
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そして翌朝。
司郎たちは、新たな設計修正案を携えて再び交渉の場に向かう。
それは、ただ土地に建てるのではなく、
「この場所の声を通す、風の道を残す」案──
あやのの声が、また少しだけ、誰かの中に届いた瞬間だった。




