第七十三章 決定と揺らぎ
翌朝。
パリ国際文化フォーラムの中庭にて、結果発表のセレモニーが始まった。
曇り空の下、報道陣が詰めかけるなか、壇上に立った審査委員長は慎重に言葉を選んだ。
「審査の結果──本プロジェクトには、二つの提案を分割して採用することが決定されました」
「一つは、“記録保存型”設計──《レゾナンス・フィールド》」
「そしてもう一つは、“共鳴型”設計──《ウィンド・スコア》」
「両者は異なる思想を持ちながら、いずれも建築の未来に価値ある問いを投げかけました。
よって、実施地を二つに分け、それぞれのコンセプトを国際的なモデルケースとして並行設計・実施することとします」
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その場にいた全員がどよめいた。
前例のない“ダブル採択”。
だがそれは同時に、表と裏に分断される道でもあった。
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控室で。
司郎がぽつりとつぶやいた。
「……分けてきたわね、やっぱり」
吉田は冷静にうなずいた。
「一つに決められる案じゃなかった。
分けるということは、思想ごと二分するということです。つまり、試されるんですよ、俺たちが本当に“社会と接続できる建築”を作れるか」
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だがその数時間後。
甲斐大和のもとに、父・甲斐総帥からの“圧”が入る。
──個人所有の海外投資ファンド経由で、「記録保存型」案に予算集中。
「共鳴型」案は、資金・人材ともに縮小方向へ。
そして、プロジェクトマネージャーの指名権限を、甲斐に一任すると告げられた。
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夜。
甲斐は一人、ホテルのロビーで立ち尽くしていた。
背後から足音。あやのだった。
「……決まったのね。もう“どっちを選ぶか”じゃなく、“どこに力を与えるか”」
甲斐は目を逸らさなかった。
「お前の案は、綺麗すぎるんだ。誰もが癒されるかもしれない。でもな、それだけじゃ、人は前に進めないこともあるんだよ」
「声を記録することが、誰かの“証明”になるなら……俺はそれを守りたい」
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しばらく沈黙が流れた。
あやのはその沈黙のなかに、甲斐自身の過去の痛みを聴き取っていた。
声を失った誰か。
救えなかった記憶。
「でもね、甲斐くん──」
あやのは小さく微笑んだ。
「“証明”って、他人にしてもらうものじゃない。
自分が生きて、語っていくものだよ」
「私たちは、声が誰かに届いて、消えてくれることを信じてる。記録じゃない、“つながり”を」
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甲斐は答えなかった。
ただ、一度だけ空を見上げた。
そしてそのまま、何も言わずに立ち去った。
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──翌朝。
発表された構成チーム案には、驚くべき内容が記されていた。
「《ウィンド・スコア》設計において、プロジェクトマネージャー:甲斐大和を任命」
裏の動きとは逆に、甲斐は自らあやのの案に肩入れしたのだ。
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理由は語られていない。
ただ、あやのが最後に見た甲斐の背中は、
「記録」と「つながり」の間で揺れながらも、どこか覚悟を決めた背中だった。
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世界の風は、まだ強く、そして不確かだった。
だが今、あやのたちの設計は、“誰かの声”を風に乗せるための準備に入った。




