第七十一章 夜明け前の設計図
パリ郊外の特別ステイ施設。
審査を翌日に控え、各国チームの代表たちは仮眠をとる部屋と、夜通し使える作業ラウンジに分かれていた。
あやのたちは後者だった。
誰一人、寝ようとはしなかった。
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大テーブルには図面、コーヒーカップ、スケッチブック、そして、あらゆる議論の痕跡。
吉田透は自らのチームを別室にまとめていたが、資料室で一人鉛筆を動かすあやのを、ちらりと見て通り過ぎた。
その視線には、あえて距離を置く冷静さと、少しの期待が混ざっていた。
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テーブルの端で、司郎が設計模型の調整をしていた。
手にはガラスと木を組み合わせた複雑なフレーム。風を受けて音を出す“共鳴筐体”のプロトタイプだ。
梶原はその横で、パーツを研磨しながらぼそりと漏らす。
「……吉田、明らかに本気モードですね。あれ」
「本気よ。アイツ、勝つことに関してだけは愚直なくらい本気」
司郎は言った。
「でも、設計って“勝ち負け”じゃないの。何を残したいかで、全部変わってくる」
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そのとき、あやのが静かに立ち上がる。
「……“記録”も“解放”も、どちらも正しい気がしてる。
でも、私は“歌う建築”が作りたいんです」
司郎が手を止めた。
「音楽は、残らない。でも、生きてる。
だから、建築にもそんな儚さがあってもいい。
“永久保存”じゃなくて、“いまを響かせる器”であってほしい」
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吉田と司郎は、どこかで似ている。
だが、真逆でもあった。
吉田透は「声の記録者」。司郎正臣は「音の受信者」。
あやのはそのあいだに立つことで、“今ここにある声”をどう設計に込めるかを模索している。
梶原はそんな彼女の隣に黙って座り、工具を置いた。
「俺にはよく分からんが……お前が“歌う建築”って言うなら、それを俺は支えるだけだ」
あやのは笑った。
「ありがとう、梶くん」
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夜が深まり、パリの街がようやく静けさに包まれたころ、
チーム・司郎デザインの設計図が、ようやくひとつの形を取り始めていた。
中心部には風と共鳴する空洞の庭
外殻は反響ではなく“呼応”を生む複層構造
音を記録せず、風に乗って響き、消えていく設計
そこには、かつての沈黙の塔とは正反対の──
“誰かの声が、どこかで風に変わって届く”世界が描かれていた。
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「さて……審査会、楽しませてもらおうかしら」
司郎が手を伸ばし、あやのの設計図をぽんと叩いた。
「この子の声は、誰にも閉じ込められないからね」
その声に、あやのも笑って頷いた。
「……私たちの“建築”は、明日、ちゃんと響くよ」




