第七十章 建築は何を記録するのか
パリ市内某所──
ユネスコが提供した国際プロジェクト専用のプレゼンテーションルーム。
白壁に囲まれた長いテーブルに、建築・音響・歴史・哲学など、世界各国から集まった選定メンバーたちが座っていた。
正面に立つのは、真木あやのと吉田透。
そして少し離れた位置で、司郎正臣が静かに腕を組んでいる。
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「これが、“新・世界建築計画”第一案です」
吉田が手元のタブレットからスライドを送る。
──立体的な幾何構造が、ホログラフィックに浮かび上がる。
その名は、
《レゾナンス・フィールド(Resonance Field)》
静寂の塔で得られた音響データの解析をもとに、
「音響的沈黙」を意図的にデザインした内部空間を中心に据え、外部には反射と拡散を司るフィールド構造──まるで“音が呼吸する庭”のような設計。
吉田は静かに語る。
「建築は、声を記録できる。ならばその**“失われた声”を保存する容器”**であってもいいはずです」
「ここでは、かつて叫ばれた声、笑い声、別れの言葉、祈りの残響が、素材の振動を通じて再現されます。音楽ではなく、“生活の音”こそを記録する──人類の記憶装置です」
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ざわつく聴衆。
その中で、司郎がぽつりと言った。
「……それって、墓じゃない」
吉田は一瞬、眉を動かした。
「なんだって?」
司郎は前に歩み出る。あやのが何か言いかけるが、止まる。
「墓。声を埋葬して、そこに参るような構造。
……あたしは、建築を“棺桶”にはしたくないわ」
「だったら、何だというんです。声を無意味に空に流すだけの、抽象的な“音の庭”ですか?」
「声は、“記録されるべきもの”じゃないのよ、吉田。
誰かに届いて、消えるから意味があるの。
それが“音”ってものでしょう」
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会議室の空気が張り詰める。
あやのは静かに立ち上がり、ホログラフの中へ歩み出た。
「私は……どちらの意見にも、正しさがあると思う」
「でも、選びたいのは“残す”ための建築じゃなくて、
“今ここで生きている声”が届くための建築です」
「沈黙の塔で聞いたのは、封じられた声じゃなかった。──“聞いてほしかった声”だった」
あやのの声は淡々としていたが、誰の耳にもはっきり届いた。
「だから、私は“記録”よりも、“解放”を選びます」
「設計名:《ウィンド・スコア(Wind Score)》」
「声は、建築の中に閉じ込めるんじゃない。建築そのものが、風とともに音を響かせていく場所に──」
彼女の手がスケッチを広げる。
それは、塔という形をとらず、
“風と音のスコア”が敷地全体に展開される構想だった。
まるで、都市の中に置かれたひとつの“楽譜”。
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沈黙が降りた。
吉田は、何も言わなかった。
その代わりに司郎を一瞥すると、わずかに口角を上げた。
「……あなたの“娘”は、思ったよりずっと喋るんですね」
「この子が“喋る”のは、本当に伝えたいものがあるときだけよ」
司郎はふっと笑い、あやのの背を押した。
「やりなさい。あたしは“消える声”の味方だから」
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ここに至って、世界プロジェクトの第一設計案は二分される。
吉田透の提案:《レゾナンス・フィールド》(記録の建築)
真木あやのの提案:《ウィンド・スコア》(解放の建築)
そしてこれが、チームの思想対立を浮き彫りにしていく──




