第六十九章 静かな叫び
仮設の地上ステーション。
共鳴の収束から数時間後、沈黙の塔は再び“音のない”建造物として、そこに静かに佇んでいた。
あやのが記録を整理していると、甲斐大和がひとり現れた。
彼の表情は、いつもよりわずかに陰を含んでいた。
「……全部、聞いたのか?」
あやのは、記録データから顔を上げて頷いた。
その目には、まだ塔の奥底に漂っていた“誰かの後悔”が焼きついていた。
「“彼”の名前は、最後まで残っていなかった。でも──声は、ものすごく強かった。何かを伝えようとしてた」
甲斐はしばらく黙ってから、低く言った。
「……あれは、俺の叔父だ」
あやのは、少し目を見開いた。
「叔父?」
「俺の父親は財閥の総帥で、表の世界の人間だ。でもその弟──俺の叔父は、裏方の技術者で、かつて国家主導の音響実験プロジェクトに関わっていた」
「“沈黙の塔”はその実験施設のひとつだった。初期段階で使われた、記録媒体──“音の心臓”を仕掛けたのが、あの人だった」
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かつて、政府と複数の大企業が共同で進めていたプロジェクト。
表向きには音響研究、しかし実態は“人間の声が精神に与える影響”を計測する、危険な人体実験に近いものだった。
「叔父は実験にのめり込んで、最後には“記録媒体の中に自分の声を封じた”と言われてる」
「名前も資料も全部、消された。だけど……俺の家には、“声が浮く壁”が残っていたんだ」
甲斐は、自嘲気味に笑った。
「俺が音に執着する理由は、そこにある。誰にも理解されなかった声を、いつか誰かに届けたいと思ってた」
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あやのは、しばらく黙って彼を見ていた。
「……だから、この塔を選んだんだね。私に、あの声を聞かせるために」
「……ああ」
「わざと、“音の構造的歪み”が残るままの塔を放置して、暴走させた?」
甲斐は黙っていたが、その沈黙が答えだった。
あやのは、そっと目を閉じた。
「……あの声を聞いて、私は泣いたよ。でも、あの人の“叫び”は、今もそのまま残るべきだと思った」
「記録されてること自体が罪、なんじゃないかって」
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少しの沈黙の後、あやのは手帳を開き、ある設計スケッチを甲斐に手渡した。
それは──
**“声を記録する建築”ではなく、“声が解き放たれる建築”**の構想だった。
「次はこれを一緒に作ろう」
「閉じた声じゃなくて、空へ向けて響く声。囚われた音じゃなくて、未来に自由に届く音」
「……あの人の叫びを、**“解放”する形で受け取るんだよ」
甲斐は、ほんの少し笑った。
「……やっぱりお前は、ずるいくらい真っ直ぐだな」
「叔父の声を“過去の遺物”にせず、“未来の土台”にしてくれるなんて──
……俺には、思いつきもしなかった」
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その塔はもう何も語らない。
だが、その上に立ち上がる“新たな構想”だけが、静かに始まろうとしていた。
音なき沈黙の果てに、
最初の“声”がようやく、生まれようとしている──




