第十六章 夜の足音
静けさは深まっていた。
窓の外では、都心の雑踏が、まるで嘘のように沈黙している。
「出るビル」の三階角部屋。
その奥で、真木あやのはまだ眠りについていなかった。
ベッドに横たわりながらも、目は開いたまま。
天井の鈴を見上げている。銀の光は、灯りの余韻をわずかに吸って、夜の中に浮かんでいた。
と――かすかに、階段のきしむ音がした。
ギシッ……ギシ……
その音は、規則的でもなければ重たくもない。
ただ、遠慮がちで、どこか土の匂いのする足音だった。
あやのは、目を伏せた。
やがて、ノックはされなかった。
ドアも開かない。
けれど、それでいい。
それが「梶くん」のやり方だった。
気配だけが部屋に差し込んできて、ほんの少し、空気が変わった。
あやのは、黙ってそれを受け入れる。
布団の上に浮かぶ影のような静けさ。
そのなかに、あたたかさが宿っていた。
ドアの向こうで、紙袋の音が微かに鳴る。
それから、また足音が遠ざかる。
ギシ……ギシ……
数分後、あやのはようやく上半身を起こした。
ベッドから出てドアを開けると、足元に小さな包みが置かれていた。
風呂敷の中には、笹の葉にくるまれた「鬼まんじゅう」。
その隣には、古びた鉛筆削り器と、手製の竹ペン。
筆箱のような箱の中には、手作りの鉛筆が何本も並べられている。
あやのはふっと笑った。
ひとつまみの音。
ひとつまみの労り。
言葉も名もいらない、深い夜の贈り物。
あやのはそれらを両手に抱え、部屋に戻って窓際の机にそっと並べた。
笹の香りが、ふわりと夜気に溶ける。
ベッドに戻ると、今日はようやく、眠りがすとんと落ちてきた。
何かを赦されたような夜だった。
誰かに見守られているときの、あの特有の眠り。
言葉にならない安堵。
遠く、鈴が――いや、耳の奥で風が揺れたような気がした。