第六十四章 密室の呼吸
塔の内部は、思ったよりも狭かった。
それでいて、音がまったく反響しない。
――違う。
“反響しない”のではなく、“反響しているのに聴こえない”。
あやのは、入った瞬間にその“異常”を察知していた。
外と同じだけの空気がある。音の伝導に障害はない。
それなのに、靴音さえ吸い込まれていくようなこの沈黙。
「壁の材質が……」
司郎が手で触れる。
「音響拡散体でもなければ、吸音材でもない。なのにこれは……」
言葉の最後は口の中で消えた。誰も答えを出せない。
塔内は極端な縦方向構造で、中央にらせん階段が一本、下層へと伸びていた。
吹き抜けの縁を囲うように、古い金属の手すりが沈黙のなかで鈍く光る。
「階層は八つ。中心に『沈黙の心臓』と呼ばれる空洞がある」
甲斐が筆談ボードに記す。
「上階から順に共鳴レベルが下がる。第七階層から先は“無音域”」
吉田が眉をひそめて、ボードに書いた。
《共鳴レベルって?》
《外部から持ち込んだ音が、どれだけ影響を及ぼせるかの指標。
たとえば“笑い声”が空間を震わせるかどうか、みたいなもの》
梶原は足元の金属階段を、ブーツの先で小さく打った。
――チン、と、かすかに音が出た。
だがその音は、瞬時に消えた。まるで濡れ布で吸われたかのように。
あやのは歩を進めた。
一歩ごとに、耳のなかで“気圧のような違和感”が増していく。
これは……
「音を発することが、身体に負荷を与える」空間。
──呼吸が浅くなる。
──喉が塞がる。
──思考のテンポまでも、妙に“遅れる”。
「この空間は……人の言葉を拒んでいる」
あやのは自分にだけ聞こえるほどの声でつぶやいた。
⸻
第六層へ降りたあたりで、メンバーたちはついに筆談すら控えはじめた。
眼と手の合図だけで意思疎通を図りながら、慎重に下りていく。
そして、第七層。
沈黙が、構造になる。
金属、石、風化した紙。
すべてが“無音”の器官となり、空間全体が一つの巨大な無響室のようだった。
「ここから先は、音による意思伝達が成立しない」
甲斐が最後のボードに記す。
あやのが頷いた。
梶原がそっと彼女の背に手を添えた。
彼女の無言の“行ってくる”に、彼は“ここにいる”と眼差しで返す。
あやのは、一人で第八層――沈黙の心臓へと足を踏み入れた。
空間の中心には、巨大な円形の床。
天井はドーム状で、周囲には無数の細孔。
何かがここに記録されてきた痕跡だけが、静かに沈殿している。
音は、無い。
だが、音がかつて在ったことの気配が、確かにある。
あやのは、そっと床に膝をついた。
言葉はいらなかった。
ただ、その場に“在る”ことが、彼女の役割だった。
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塔は、あやのを飲み込まなかった。
逆に、あやのがその沈黙を、じっと聴き始めた。
「始めましょう」
誰にともなく、彼女は口の動きだけでそう言った。
沈黙の奥で、古い声がわずかに──動いた気がした。




