第六十二章 音が外交を終わらせた場所
場所は、パリ・第7区のとある地下室。
通常は閉鎖されている国際文化機関の旧会議室。
レンガ造りの空間に、仄暗い照明が一灯。
揃ったのは、真木あやの、司郎正臣、吉田透、梶原國護。そして、甲斐大和。
円卓の中央には、一枚の地図と古びた設計図が置かれていた。
「Echo Spire──エコースパイア」
甲斐が口火を切る。
「“記憶を封じた交渉所”とも呼ばれている。
公式には存在しない。かつて、国際言語協定の原型案が録音された場所だ」
あやのの指先が、紙に置かれた塔のスケッチに触れる。
「どうして封印されたの?」
「……人間の言葉が、音によって管理されることを世界が恐れたからだ」
甲斐の声が低く響く。
「この施設は、完全に音響的に閉鎖されていて、入った瞬間、
“声”が物理的に捕捉・保存される構造を持つ。
ただの録音装置じゃない。“意志”の痕跡すら残す」
「それ、つまり──言葉に責任が発生するってことか」と吉田。
「しかも一度入った声は、消せない。消そうとすれば塔ごと崩れる。
戦後に何度か“声の抹消”が試みられたが……結果的に三人の外交官が精神を壊した」
梶原の眉が僅かに動く。
司郎は黙って設計図を眺めていたが、静かに言った。
「で、その記憶装置を“再起動”させるってわけかい?」
甲斐はうなずいた。
「塔の中心部には“沈黙の心臓”と呼ばれる構造がある。
音が音として“意味”に変わる臨界点。そこに──」
「……わたしが入るのね」と、あやのが言った。
「おまえが唯一、“音を記録としてでなく、共鳴として受け取れる”存在だ」
甲斐は、他の誰でもなく彼女を見ていた。
「じゃあ、俺たちは何をすればいいんだ?」
と、吉田。
「防音構造の補修。侵食した塔内部の再構築。そして、音の還流経路の開放」
甲斐は次々と資料を広げる。
「……ただし、設計チームが中に入れるのは48時間以内。それを超えると音が人格を侵す。
音が言葉としてでなく、“命令”に変わり始めるからだ」
「つまり──」司郎が立ち上がる。
「そこは、生きた建築ってことか」
沈黙が落ちた。
そしてあやのが、ひとことだけ言った。
「……行くわ。
でも、もしわたしの声が“音に呑まれた”ら、そのときは──迷わず、塔ごと壊して」
「了解」と梶原が答えた。
吉田は沈黙のまま、あやのに小さく頷いた。
司郎だけが、静かにため息をつきながら眼鏡を拭いていた。
「……もう誰にも“置いていかせない”んだからね、あたしは」
ブリーフィングは終わった。




