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星眼の魔女  作者: しろ
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第五十三章 聖堂の内側(インナーボイス)

風の聖堂――サント・ヴァンの建築現場は、日増しに奇妙な静けさと熱気に包まれていった。

仮設ドームの中、あやのは朝の祈りのように、ひとつひとつの素材に手を触れていた。


「それ……話しかけてるの?」


ふと後ろから聞こえたのは、吉田透の声だった。珍しく柔らかい口調だった。


「話してるというか……聴いてるんです。どこに置かれたいか、どう組まれたいか、みんなそれぞれで」


「おまえ、マジで建材と対話してんのな……」


彼は呆れたように笑ったが、その目はどこか安堵していた。

設計図面にすべてを落とし込もうとしてきた己の手法が、もう通じない場所に立っていることを、吉田はすでに悟っていた。


**


現場の地中からは、いくつもの骨材や古代石材が見つかり、建築素材に再利用することが決まった。

司郎はその中でも「石の声がうるさいやつ」を選び、あやのに渡す。


「こいつは……やかましいから、入口にでも据えて黙らせなさい」


「はい、黙らせます。黙ってても、しゃべってても可愛いですけど」


「そういうの、墓石屋に言ってあげて?」


**


その日の午後――


サント・ヴァンの中心部となる「内陣の骨組み」に、最初の鉄骨が立ち上がった。

だがその瞬間、風が一気に変わった。


突風。


誰もが思わず身を伏せた瞬間、中心に立っていたあやのの髪がふわりと逆巻いた。

空間が、音もなく震えていた。


「……揺れてる? これ、構造じゃない……」


「風が歌ってる」


あやのがつぶやいた。


その場にいた誰もが、言葉を飲み込んだ。


実際に音はなかった。だが、何かが鳴っているとしか言いようのない共振が、空間全体に満ちていた。


「“風の音叉”だ……鉄骨が、音に共鳴してる」


吉田が息を呑んだ。


司郎は腕を組み、じっと中心を見据えていた。


「こりゃ……おもしろくなってきたわねぇ……この聖堂、完成したら、風が“演奏”するわよ?」


「つまり“中に入るたびに違う”ってこと?」


「そう。内側が、生きてるの。あたしら、呼吸する楽器を建ててんのよ」


そのとき。


ヘイリーが、そっと近づいてきた。

彼女の手には、短い旋律を書いた五線譜が握られていた。


「これ……試してみない? あやののハミングを、空間に響かせてみたいの」


**


数時間後、仮設ドームの中で、静かなテストが行われた。


あやのはただ、小さく口ずさんだ。

それは、かつてニューヨークの街角で生まれた、あの“Silent Requiem”の冒頭の旋律だった。


――と。


骨組みの鉄がわずかに鳴った。


風が吹き抜け、旋律が複製されたように空間のあちこちで反響しはじめた。

ひとつ、またひとつと、異なる“音の居場所”が生まれていった。


まるで、誰かが内側から、返事をしているかのように。


「……この聖堂、“空洞”じゃないわ。内側に、何かが住んでる」


あやのの目が、ふっと遠くを見るように細まった。


「“声”の居場所を作る。あたしたちが今、やってることは、それよ」


誰の声?


そう問いかけようとした誰かの口が、音にならないまま閉じた。


なぜなら皆、それが「誰の声」なのか、本当はもう気づいていたからだ。


この場所に集められた、すべての想いと、祈りと、記憶。


そして、


この世界にまだ名もない者たちの、未来の声。


「この建物、完成しないわよね?」


ヘイリーがぽつりと呟いた。


「完成しないように、設計してます」


あやのが笑った。


「だって、変わり続けるんですもん。この“声”のために」


**


風の聖堂は、音と風の中に、その“内側”を立ち上げ始めていた。


誰もまだ、その最終形を知らない。

ただ、風が鳴り、声がそこに宿っていることだけは、確かだった。

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