第四十五章 響き合う祈り(レクイエム・フォー・ユー)
深夜のパリ。
星の瞬きさえも届かぬ静寂の中、あやのは梶原とともに小さな教会へ足を踏み入れていた。
その教会は、遠野の鬼の里を思わせるような素朴な木の香りと、静謐な空気が漂っている。
梶原は普段の硬い表情をゆるめ、あやののそばを歩いていた。
「……あやの、俺に聴かせてくれ」
梶原の声は低くて穏やかだ。
その瞳は、どこか幼い頃から抱えてきた深い孤独を映しているようだった。
あやのは息を整え、静かに口を開く。
――まるで呼吸のように、自然に音が生まれた。
「眠れぬ者よ、いまこの灯に寄り添え
ひとときの安らぎを わたしが宿す」
声はひそやかに、だが確かに空間を満たしていく。
梶原は目を閉じ、深く呼吸をした。
「おまえの音は、俺の心に…しみる」
小さな声で、しかし確かな熱をこめて言った。
あやのはそっと梶原の手を握る。
「あなたの存在が、私の音を呼び覚ましてくれたの」
その瞬間、ふたりの間にあった距離が、言葉なく溶けていった。
教会の木製の椅子に腰を下ろし、梶原はあやのの肩にそっと寄りかかった。
「ずっと、そばにいるよ」
夜の静けさが、ふたりを包み込んだ。
教会の静寂に包まれ、あやのの歌が梶原の心を揺らしていた。
音が止むと、梶原は目を開け、あやのを見つめた。
「…なんで俺の前で、そんな声が出せるんだ?」
その言葉は低く、震えていた。
あやのは少しだけ肩をすくめ、目を伏せる。
「あなたの前だから、かな」
梶原はふっと息を吐き出すと、じっとあやのを見つめたまま、ぎこちなく笑った。
「…俺はお前みたいに自由じゃない。鬼だし、過去も…暗い。俺の中の音はいつも乱れてる」
その告白に、あやのは静かに手を伸ばし、梶原の顔を優しく包んだ。
「乱れてる音も、必ず美しく響く。私がそれを見つけるから」
梶原の頬がほんのり赤く染まる。
「あやの……そう言ってもらえるなら、俺ももう少しだけ、怖がらずにいられるかもな」
あやのはふっと笑い、顔を梶原の胸に埋めた。
「怖いのは当たり前。私も…あなたを守りたいけど、その強さに押しつぶされそうになるときがある」
梶原はぎゅっとあやのを抱きしめた。
「だからこそ、俺たちは一緒なんだろうな」
「…ねえ、梶くん」
あやのが顔を上げて、少し照れながら言う。
「もっと、甘えていいよ?私、あなたの全部を受け止めるから」
梶原はあやのの耳元にそっと囁いた。
「お前に甘えられるなら、俺はどこまでも弱くなってもいい」
夜の闇がふたりを優しく包み込み、世界はふたりだけの小さな楽園となった。




