第四十二章 光の射す場所
パリ第六区。サンジェルマン・デ・プレの小さな通りに構える司郎デザインのヨーロッパ拠点は、
騒然とした記者たちと報道陣に囲まれていた。
カメラのフラッシュが、あやのの瞳に瞬くように刺さる。
その白い肌と長い睫毛、真珠色の髪がカーテンのように揺れるたび、誰もが息を呑んだ。
「シークの館からどうやって脱出を?」
「拘束の証拠は?暴力はあったのですか?」
「君は今、自由ですか? 怖くなかった?」
まるで、好奇心の咆哮だった。
答える必要はなかった。彼女の隣に、司郎と梶原が立っていたからだ。
司郎はカメラに一睨みすると、「ノーコメントよ、ゴシップども」とピシャリ。
黒縁眼鏡の奥に怒りはなく、ただ明確な「拒絶」があった。
梶原はあやのの手を軽く引きながら、どこにも触れない絶妙な距離で歩いた。
でもあやのには分かっていた。彼の全身が、彼女の盾になっていた。
拠点の扉が閉まり、外の喧騒が遮断されたとき――
あやのはようやく、呼吸をひとつ、深く吐いた。
「……怖いのは、外の人のほうですね」
ぽつりと漏れたその言葉に、司郎は肩を竦めた。
「まあ、坊やの泣き顔は確実に売れるからね。言葉よりも絵になるのよ、あんたは」
からかうような調子だったが、その手はそっとあやのの背中に回されていた。
大丈夫。ここがあなたの場所。
あやのは小さく頷いて、黙ったまま微笑んだ。ほんの少しだけ、肩の力が抜けていた。
数日が過ぎて、記者たちも次第に飽き始めると、拠点には日常が戻ってきた。
出るビルとはまた違う、光の差し込むアトリエ。
梶原は黙々と手を動かし、図面と睨めっこをしていたが、
ふと気づくとあやのが同じテーブルに腰を下ろしていた。
彼女は何も言わず、ただ彼の隣にいた。
目の前には、例のハミングの楽譜と、手書きの詩の断片がある。
梶原は、指先でそれをそっとなぞった。
「書けてきた?」
「……うん。でも、まだ歌えそうにないの。あれはたぶん……生きて帰ったあとに歌うものじゃない」
「でも、お前が生きてるのが、一番大事なことだよ」
ぽつんと落ちた言葉に、あやのはまた何も言わず、
代わりに視線を彼の手元へ移した。
梶原の手には小さなペンダントトップ。
宝石ではなく、司郎が設計し、あやのが見ていた「音の紋」を模した木の細工だった。
「……それ、くれるの?」
「おまえが泣いた夜の分だけ、削ってた。……だから、渡してもいいと思ってる」
そっと差し出される小さな想い。
あやのは、迷わずそれを両手で受け取った。
その指先は、ほんの少しだけ震えていた。
けれど、彼女の目にはもう、怯えはなかった。
静かで、やさしいものが、そこに宿っていた。
世界の喧騒の中、ふたりの距離は音楽のように、
言葉ではなく、静かな響きで近づいていく。




