第三十八章 沈黙の調律
黄金の部屋と呼ばれるその空間は、絢爛さにおいて王宮を超えていた。
床はトルコ石、壁にはアラバスターの浮き彫り。
だがあやのの目には、それらすべてが棺の内壁のように映っていた。
ザーヒルは今日も同じように、過剰な愛を詰め込んだ箱を携えて現れた。
サファイアの首飾り、宝飾をあしらったドレス、香料の染みた絹のショール。
「これは、王妃の墓から掘り出した古代の宝です。
君が身につけることで、その美しさがまた時代を越える……そう思わないか?」
あやのは何も言わなかった。
ただ両の手を組んで、じっと彼の目を見ていた。
拒絶とも、憐れみともつかない静かな視線。
「なぜ……なぜ、笑ってくれない? なぜ私を見てくれない?
私は、君のためにすべてを捧げている。あらゆる芸術を、香を、絹を――
男が君にできる、すべての悦楽を与えられるのに」
ザーヒルの声が熱を帯びていく。
「触れればわかる。君はまだ誰のものでもない。
この髪も、この肌も――穢されてなどいない。
君は“純粋”だ。だからこそ私が君を完成させてやるんだ……!」
金糸と宝石の縫い取りがされた天蓋の下――
そこは、あやのにとってまるで神殿のようであり、牢獄のようでもあった。
王宮に似せたその邸は、外界と完全に遮断されていた。
周囲五キロに及ぶ敷地は私設軍隊によって封鎖され、衛星通信すら遮断される特殊なノイズが張り巡らされている。
兵士たちは全員が精鋭――元傭兵や元特殊部隊の男たち。
重火器を所持し、反応速度も訓練された軍と変わらない。
司郎が初めてドローンを飛ばしたとき、それはわずか十五秒で撃ち落とされた。
そしてその報告を見た梶原は、静かにヘルメットを被った。
一方、黄金の部屋——
ザーヒルは、まるで戦利品を前にした将軍のような視線であやのを見つめていた。
「……外の世界では、お前は“自由”かもしれない。
だが、この国、この王の庭においては違う。私は法だ。正義だ。
そして、“所有”の意味を、世界で最も正しく理解している男だ」
ゆっくりとした歩調で近づくその姿には、まるで獣のような食欲的欲望が滲んでいた。
「触れた者を灰にする。君が誰を見ても、私を思い出すようにする。
言葉など必要ない。ただ、私に微笑め。目を伏せず、頭を下げるな。
君は美しすぎて、哀れなほどに、無力なのだ」
吐息のかかる距離まで迫る。
指先が頬へと伸びた、その瞬間。
──キィィン……!
静寂を切り裂く、共鳴音。
あやのの喉が震え、部屋に“音”が戻り始めた。
封じられていた魔法のような静謐が破れ、空気が再び動き出す。
その直後、敷地外
私設軍兵たちの通信用チャンネルに、異常なノイズが走る。
カメラ映像が一斉に乱れ、音声がシャットアウトされる。
「南第七門、爆発音!」
「電磁パルス波……これは、正規軍か……!?」
「いいや――これは、司郎デザインだ……!」
地響きのように近づく無人車両群、電子妨害を伴う音波爆弾。
その先陣には、ボディアーマーに身を包んだ梶原國護が、黒鋼の刃を肩に担いでいた。
「開けろ。俺はあやのを連れて帰る。
そして――王様ごっこしてる奴らは全員、黙らせる」
兵士がライフルを構える。
だが次の瞬間、周囲に立つ防弾ガラスが、音で砕けた。
上空から投下されたのは、司郎の設計による特殊拡声共鳴装置。
あやののハミングが、まるで鐘の音のように敷地全体に広がっていた。
司郎の声が、遠くスピーカー越しに響いた。
「パーティーは終わりよ、シークさん。
ウチの子に触った代償は、建物一個分くらいよ」




