第三十二章 囁きの波紋
撮影の翌日、パリの朝はガラスのように透き通っていた。
「出る事務所・パリ支部」の一室。
天井高のある古い建物の最上階を改装したオフィスには、いくつもの報道メールとSNSの通知音が静かに鳴り続けていた。
あやのは窓際でコーヒーカップを両手で包み、黙ってそれらの情報の流れを眺めていた。
“Who is the fairy in white?”
“世界の音をまとう小さな詩人”
“建築界の秘宝がファッション界に現れた”
記事のタイトルはやがて国境を越え、
スペイン、ドイツ、アメリカ、そしてアラブ圏にまで波紋のように広がっていった。
撮影中にレミが撮影した非公式ショット――
ふとした瞬間に目を伏せ、肩に落ちる髪が光を受けたその一枚が、
「生きる静謐」と評されて拡散されたのが始まりだった。
スタイリスト界隈だけでなく、芸術家、詩人、宗教指導者までもが、
「この小さな人間は、なぜこれほどまでに“静かな崇高さ”を宿しているのか」と語り始める。
そして、そこにひとつの眼差しが含まれるようになる。
――中東某国の文化庁が管轄する“王族美術収集室”。
その中で、白装束の少女の写真が、厳重なファイルに追加される。
午後、司郎は書類の山を片付けながらブツブツ言っていた。
「あんたがファッション誌なんぞに載るから、うちのサーバが落ちかけたじゃないの。……ま、可愛い写真だったけど」
横であやのは無言のまま、画面の中の“自分”を見ていた。
建築でも音楽でもない分野で、自分が“受け取られた”ことに、言葉にできない感情があった。
その姿を見た梶原は、そっとカップを差し出し、ぽつりと呟く。
「……ああいうのは、守り甲斐があるな」
司郎がギロッと睨む。
「おい梶原、そういうのは外に出てから言え。あやのはまだ子どもだぞ。世界から隠したいくらいだわい」
あやのは微笑みもせず、静かに席を立った。
扉の向こう、石畳を歩きながら、彼女はふと立ち止まる。
パリの街が静かにざわめいている。
その中に、たしかに――自分を呼ぶ声がある。
それが祝福なのか、誘惑なのか、災厄なのか。
まだ彼女にはわからなかった。
だが確かに、次の章が近づいているのを、星眼の奥に感じていた。




