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星眼の魔女  作者: しろ
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第三十一章 仕立てられる音

撮影当日。

場所はパリ市内の老舗アトリエを改装したスタジオだった。

石造りの壁に差し込む柔らかな自然光、所々に飾られた彫刻と古書。

その空間そのものがまるで舞台美術のようで、あやのは一歩入ってすぐに足を止めた。


「……ここに私が、立つの?」


誰に向けるでもなく、そんな心の声が浮かぶ。


建築の裏方として図面を引く日々。

現場で泥に塗れることもあった。

けれど今日は――自分が、作品の一部になる。


その瞬間を作り出すのが、スタイリストのレミ・ロヴェールだった。

フランスのファッション界で“神の手”と呼ばれ、

着る者の精神と肉体を縫い合わせるような装いを生み出すとされる男。

細身で無駄のない動き、冷徹な目元の奥には極度の集中と慈愛が同居していた。


レミは、あやのを見た瞬間に言った。


「フェアリー、じゃない。鐘(Cloche)だ。

音を抱えて震える、無垢な鐘の音。それが君だ」




フィッティングは静かに進んだ。

布は光をはじき返すでもなく、吸い込むように落ちてゆく柔らかさ。

純白の中にわずかに銀を混ぜ、風が吹けば音が立つような薄絹を、何層にも重ねる。

レミの指先が、あやのの肩や腰のラインをわずかに確認し、

寸分違わぬ位置にアクセントを置いてゆく。


「君は、立っているだけで正しい。だから余計なことをしてはいけない」


レミはそう言った。

ポージングも指導もない。

椅子に腰掛けたまま、あやのに“ただそこにいること”を求めた。


音楽家としてのグレイマンとの対話とは異なる。

ここでは言葉も音もいらなかった。

ただ、“形”としての存在を肯定されている。


それが、奇妙にくすぐったく、温かかった。




カメラのシャッター音が始まった頃には、

あやのの中の緊張は薄皮のように剥がれ落ちていた。


ふと、頭の奥に音が響く。

それはハミングでも、旋律でもない。


――衣擦れと、レンズの機械音、

――スタッフの小さな吐息、

――静かな「世界の眼差し」の集束。


そのすべてが、ひとつの音楽に感じられた。




撮影終了後。

レミは短く「Merci」とだけ言い、最後にあやのの頭にそっと手を置いた。


「君は、音のために生まれた服を着る人間だ。

“装われる”のではなく、“共鳴”を起こす存在だよ。パリに来てくれてありがとう」


あやのは、いつものように少し頭を下げただけだった。

けれどその仕草は、スタジオ中の誰よりも優雅だった。

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