第二十五章 審査発表ー世界が見る建築
パリ・国際建築ビエンナーレ最終審査会場、午後2時
重厚な石造りの会場ホール。
天窓からの光が、ゆるやかに客席を照らしていた。
列席者はおよそ300名。
世界中から招かれた設計者、研究者、批評家、報道陣。
空気は落ち着いているが、どこか緊張が走っている。
壇上には審査員団。
中央にはパリ建築大学名誉学長の姿があり、
その両脇には、各国から選ばれた識者たちが座っていた。
客席の右側中段に、あやのと梶原の姿がある。
「大丈夫か?」と梶原が小声で問うと、
あやのは静かにうなずいた。
「……大丈夫。見届けたいから」
梶原はそれ以上何も言わず、視線を前に戻す。
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審査講評が始まる
審査員長が演壇に立つと、照明が落ちて、スポットが当たる。
「本年度のテーマは、“静かなる再編成(Quiet Recomposition)”でした。
私たちは今年、かつてない数の“語らない建築”に出会いました。
そしてその中で、とある一作品は――
見る者の“内部”を、まるで時間のように動かすものでした」
会場にざわめきが走る。
梶原が横目であやのを見る。
あやのは表情を変えないまま、視線を壇上へ向けていた。
「第1位を受賞したのは――」
一瞬、場内の空気が止まる。
「――Ayano Maki、Japan.」
拍手が、会場に満ちていく。
最初は小さく、やがてゆっくりと広がるように。
壇上へ呼ばれる名前。
だが、あやのはすぐには立ち上がらなかった。
ただ、両手を膝に置いて、深く深く息をついた。
「……立てるか?」と梶原が囁いた。
あやのは、頷いた。
「うん、大丈夫。……行ってくる」
立ち上がる背中は、どこか決意というよりも“覚悟”に近かった。
静けさをまとったその足取りで、壇上へと歩き出す。
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表彰とスピーチ
壇上でトロフィーと表彰状を手渡されたあやのは、
簡潔な拍手に囲まれてマイクの前に立つ。
しばらく沈黙。
誰もが見守るなか、彼女は口を開いた。
「……私は、この建築を“説明する”ために作ったわけではありません」
「ただ、ここにいてもいいと思えるような空間を、
一度だけ、本気で作ってみたいと思った。それだけです」
通訳を挟まず、英語で話すあやのに、会場はまた静かになる。
「そこに誰かが立って、何も言わずに何かを感じてくれたら……
それだけで、建築は“届いた”と、私は思います」
拍手は、誰からともなく起こった。
それは盛大というより、敬意のこもった、穏やかな拍手だった。
壇上を降りると、梶原が立ち上がっていた。
そしてもうひとり、会場の後方――
甲斐大和も、静かに拍手を送っていた。
彼は、遠くからあやのを見て、ただ頷いた。
それは、敗北でも嫉妬でもなかった。
ただ、ようやく追いついた実感――
“本当の距離”を測った男の表情だった。




