第二十三章 旅路の始まりーパリへ
六本木・甲斐大和の自宅オフィス、深夜2時
甲斐大和は、ただ一点を見つめていた。
目の前には、ノートパソコンに表示された
「CDG(シャルル・ド・ゴール空港)行き、直行便:残席2」
彼の指先は、クリックすることもせず、ただ静かに震えていた。
脳裏に焼きついているのは、パリの会場で展示を前にした真木あやのの姿。
無理に背筋を伸ばすでもなく、媚びることもなく、ただそこに“在った”。
――あれは、誰にも教えられない佇まいだ。
彼女は誰のフレームにも収まらなかった。
かつて甲斐が与えようとした“安全な型”から、自らはみ出してみせた。
「……間に合うかどうかじゃない」
「行くしかないんだ」
気づけば、甲斐の指が滑るようにマウスを動かし、
「購入」をクリックしていた。
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羽田空港・早朝4時半
濃い霧が滑走路に立ち込めていた。
人影もまばらな出発ロビーで、甲斐は静かに座っていた。
搭乗ゲート前で、ふとスマホを取り出し、短くメッセージを書く。
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【To: 非公開アドレス】
「会いに行くわけじゃない。
ただ、“あの建築”が、どこへ向かうのか見ておきたいだけだ。
――俺は、ようやく“外側”に立てる気がしてる」
送信。
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離陸直前の機内
窓の外、夜明け前の東京。
街の灯りが、濃紺の空ににじんでいた。
甲斐はシートに深く座り込み、目を閉じた。
「やっと……一人の建築家として、見られる気がする」
彼が見るのは、成功でも敗北でもない。
“あの人が築いた空間が、世界とどう響き合うか”
初めて、自分の感情を傍に置いて見に行ける気がした。
滑走路が伸びる。
旅が、始まる。
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一方、パリの朝
あやのはホテルの部屋で、窓辺に立っていた。
朝焼けに照らされた空。
背後では、梶原がカップをふたつ用意している。
「今日は……決まるんだな」
誰に言うでもなく、あやのはつぶやいた。
ふと、どこか胸騒ぎのような気配を感じた。
理由はない。けれど、空の彼方に――誰かの“視線”を感じていた。




