第十五章 ノミと釘と一杯のスープ
午前6時。
パリの空はまだ青く、吐く息にすこしだけ白さが残る。
回廊の奥、中庭の片隅に、日本人三人が黙々と荷を下ろしていた。
「で、資材は?」
司郎が腕を組む。
「届いてません」
あやのがスマホを見せる。フランス語と英語が入り混じったメールのやり取り。業者からは“明日か明後日には”という曖昧な返信。
「じゃあ、こいつら使うわ」
司郎は廃材の山を見つめ、何かを思いついたように手を叩く。
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二時間後。
作業着姿の地元スタッフ数名が、渋々現れた。いかにも「辺境の現場に回された」感を漂わせている。
「Bonjour…?」
「工具は? 設営図は? 時間は守れと、主催が言ってた」
通訳もいない。フランス語の訛りも強く、言葉が通じない。
「大丈夫、わかってる」
あやのが前に出て、英語と身振り手振りで応じる。
片言でも、「こちらは建てる意思がある」と伝えることだけに集中する。
だが、スタッフの一人が鼻で笑った。
“This is a joke, oui? Japanese ‘art’ from garbage?”
その言葉に、梶原の手がピクリと止まった。
静かに、木槌を置く。そして、黙って隣の壁を手で叩いた。
「……ここ、抜けてる」
フランス人スタッフが怪訝そうに梶原を見る。
彼はすぐにバールを拾い、壁の裏へ回ると、素手で叩きながら構造を調べた。
その数分後。壁の内側から古い梁を一本、正確に引き抜いた。
一同、静まり返る。
「あんた、これ使えるかしら」
司郎が梁を見て笑った。
「使える。一番、いい柱だ」
言葉がなくても、構造が通じる。
設計図はなくても、彼らの手と目が、語るものがある。
最初に鼻で笑ったスタッフが、ぽつりと英語で言った。
“You… are builder.”
あやのが息を吐いた。
それは、建築家としてではなく、“つくる者”としての第一歩を認められた瞬間だった。
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夕方。
設営は半日で半分まで進んだ。廃材の柱と梁、金属のジョイント、そして磨かれた床の上に、奇妙で静かな構造体が立ち始めていた。
作業の終わりに、老スタッフが保温ポットから紙コップを三つ差し出した。
「……スープ?」
あやのが受け取ると、あたたかい香りがふわりと立ちのぼる。
“Pour les mains, et le cœur.”
(手のために、心のために)
フランス語はわからなかったが、その言葉の意味は、十分すぎるほど伝わった。




