第十四章 ガレリアの風、リュクサンブールの影にて
シャルル・ド・ゴール空港。
旅客ターミナルに流れるフランス語のアナウンスが、まるで水の音のように通り過ぎていく。
「……すごく、静かですね。パリってもっと、音の多い街だと思ってました」
あやのはスーツケースの取っ手を握りながら、建築学部時代の記憶を探るように呟いた。
「音がないのよ、きっと。“他人に構う音”が」
司郎はすでにサングラスをかけ、ガラガラと図体に見合わない可愛いキャリーケースを引いている。
「気配のない街だ、ってことか?」
梶原が一歩、二人の横に並ぶ。
「気配はあるのよ。石畳に吸われてんの。ほら、足元見てごらんなさい」
あやのが視線を落とすと、そこには摩耗した石と石のすきま。
そこを風がすっと抜けていった。
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ビエンナーレ会場:リュクサンブールの回廊
かつて宮殿だった建物の一角、赤い鉄の仮設ゲートを抜けると、世界中の建築家たちの模型やインスタレーションが所狭しと並ぶ。
「名前がないな」
司郎が呟いた。
「え?」
「“Shiro Design”のプレートが、ない。招待されたんじゃなくて、“試されてる”のね、これ」
係員を捕まえると、あからさまに困った顔で英語を返された。
“Ah… you are the Japanese team? The space is… how to say… flexible. You can build where you see fit.”
——つまり、「空いてるところで勝手にやってください」ということだった。
「ふざけてんのかしら、あたしたちを」
司郎はスケッチブックを閉じ、荷物の山を見た。
「やりますか」
あやのが言った。
「やるわよ。あんたたち、日本の幽霊より厄介なフランス人たち相手に、本気見せてあげなさい」
梶原は荷を担いで、何も言わず回廊の奥へと向かった。
その背に、陽が射していた。斜めに、静かに。
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その日の夜、彼らは廃棄された中庭の一角を選び、そこに小さな赤い杭を一本打った。
それが「司郎デザイン」の、ヨーロッパでの始まりだった。




