第十三章 天空の境界線にて
エンジン音がかすかに響く。
成田発、パリ行きの便は今、ユーラシアの空を越えていた。
機内の灯りは落とされ、読書灯だけが点々と揺れている。
真木あやのは、窓際の席でただ、暗い空を見つめていた。
外はどこまでも黒く、星の光すら飲み込まれる。
「眠れないのかしら、あやの」
隣から、低い声。
司郎正臣が、ブランケットを半分こして彼女に掛けた。
「……はい。あまり飛行機に乗ったことがなくて」
「大丈夫よ。落ちても、あんたが生き残るから」
「ひどい慰めですね、それ」
くす、とあやのが笑った。
「でも……そうですね、地上からだと見えなかった“境界”が、ここからだと見える気がします」
司郎は、ふっと目を細めた。
「何が見える?」
「世界と、世界のあいだ」
その言葉に、司郎は応えず、ただ天井を見上げた。
彼には見えない何かが、あやのには確かに見えている。
それを否定しない。ただ、必要なときに背中を押す。それだけでいい。
数列後方、梶原國護は黙って文庫本を読んでいた。が、ページはほとんど進んでいない。
左手の指には、さりげなく紙で折った小さな鶴が挟まれている。あやのが折って、手渡したものだった。
「怖いの? 梶くん」
あやのが振り向いて声をかけると、梶原は少しだけ目を丸くした。
そして一言。
「落ちたら……責任、取ってもらう」
「……それ、逆です。私が守られてますから」
照れ隠しに背を向けた梶原の首筋が、うっすら赤くなっていた。
「もう、ニューヨークにだって行ったのに」
⸻
機体はゆっくりと下降を始める。
機内アナウンスが、現地の天気と気温を告げる。
「パリは現在、晴れ。気温は18度。着陸まであと二十五分です」
司郎は、座席の下からスケッチブックを取り出した。
未完成の線。未定義の構造。パリで出会う何かが、ここに線を足すだろう。
「さて、お嬢ちゃんたち」
司郎は眼鏡を持ち上げて、にやりと笑う。
「“見えない建築”ってやつ、見せてやるわよ。世界中に」




