幕間「ぬるむ手」
夕餉の片付けを終えた後のキッチンは、湯気の名残がまだ空気に漂っていた。
あやのはふわりとした部屋着に着替え、湯呑みを片手に窓辺に立っている。
「……あったかい」
そう言って、湯呑みを両手で包んだ。
梶原は黙ってその姿を見ていた。
壁にもたれたまま、手にしていたタオルをぽんとテーブルに置き、ゆっくりと近づく。
「寒くなるぞ。ひざ掛け、いるか」
その声は淡々としていて、いつものようにぶっきらぼう。
けれど、微妙に間が長かった。言うかどうか、少しだけ迷ったような、そんな沈黙が混じっていた。
あやのは答えず、首をすこしだけ傾ける。
その仕草に、梶原はひとつ息を吐くと、ソファの背に掛けてあったひざ掛けを取り、何のためらいもなく彼女の肩にふわりとかけた。
──一瞬、視線が交わる。
夜の静けさに包まれた空間で、二人だけの呼吸がふと合った。
「……ありがと」
「ん」
それだけのやりとりだった。
でも、ふたりの間には、何かが確かに流れていた。
旅先の喧騒の中では見えなかった微細な情。
音のない生活に戻ってきたからこそ、感じとれる「気配」が、そこに宿っていた。
梶原の手は、かつて刀を振るい、何百年も戦ってきた男の手だ。
無骨で、傷だらけで、優しさとは縁がないように見えた。
──けれど、あやのは知っている。
この男は、命を守るための手をしている。誰かのために、未来のために。
ひざ掛けの端をそっと握りながら、あやのは頬を少しだけ染めて、湯呑みを持ち直した。
窓の外では、木枯らし一号が東京の街に吹き抜けていた。
けれど、「出るビル」の中は、静かに、確かに、あたたかかった。




