幕間 ただいまの光
東京の空は、冬の気配を帯びていた。
「出るビル」のレンガの壁には、西日が傾き始め、あたたかな橙色を投げかけている。
その光が、古びたステンドグラスを透けて、事務所の床に優しい模様を落としていた。
玄関の扉が軋みながら開いた。
「──ただいま」
あやのがそっと声に出すと、どこからともなくトイレの太郎くんの笑い声が聞こえたような気がした。
気のせいか、階段の踊り場では田中さんがネクタイを直している。
そして、エレベーターからは「キャー!」というお決まりの悲鳴とともに、山形さんが満足げに浮かんで消えた。
「……ああ、帰ってきたんだな」
あやのはふう、と息をついた。
奥の作業スペースでは、司郎が真新しい青図を広げていた。
机の上には、すでに新たなコンペの案が数枚、無造作に置かれている。
「司郎さん、それ休んでないですよね?」
あやのが呆れたように言うと、
「休むって何かしら。物理的に不可能よ」と、司郎は眼鏡を押し上げ、ニヤリと笑った。
そして、キッチンでは梶原が帰還祝いの味噌汁を煮ていた。
ほんのり香る出汁の匂いが、ビルの古びた空気と溶け合っていた。
「……あやの、おかえり」
その一言が、なんだか胸にしみた。
彼女は無言でうなずくと、ふと窓辺に目を向けた。
外には、冬の陽がゆっくりと傾いていく東京の街。
喧騒と静寂の狭間にあるようなこの場所で、自分たちはまた次の建築を育てていく。
机に置かれたままの万年筆を見て、あやのはそっと指で撫でた。
グレイマンにもらったそれは、今や日常に溶け込んでいた。
特別なことは何もないけれど、特別なものが、確かにここにはある。
そう──
ここが、私の帰る場所だ。




