第十章 詩の無い歌に言葉を
廃校の最上階。音楽室の古びた天井から、斜めに月の光が差し込んでいた。
あやのは、譜面台のない舞台に一人立っていた。
グレイマンはその奥の椅子に腰掛けている。
今日は、何の言葉も発しない。ただ、目を閉じている。
「この部屋に残る最後の“音”を、詩にしてみなさい」
あやのは以前、彼にそう言われた。
「それが、君の“Silent Requiem”を完成させる最後の鍵になる」
あやのは静かに呼吸を整えた。
一切の伴奏なし。ただ、自分の声だけが楽器になる。
ハミングが、ふっと唇からこぼれた。
だが、それは以前のような旋律ではない。
むしろ──間延びした沈黙と沈黙のあいだを、漂う“気配”だった。
だれかが泣いている気がした。
遠くで、笑っている気がした。
名前のない誰かが、ここで人生を終えた気がした。
そのすべてに、あやのは一行ずつ詩をつけていく。
──名を知らぬあなたの 最後の言葉は
音にもならず ただ 風を揺らした
それでも私は 忘れません
あなたの沈黙を
声に出す必要はなかった。
詩は、あやのの中で旋律と混ざり、世界に溶けた。
音楽室の空気が、ほんの少し変わった。
埃の流れが逆巻き、どこかで誰かが拍手をした気がする。
グレイマンがゆっくりと目を開けた。
「完成だね。君のレクイエムには、ようやく言葉が宿った」
それは、死者に捧げる祈りであり、
音楽を超えた、沈黙を讃える“詩のない詩”だった。




