第7話 生きる理由が、もうどこにもない
夜、希を寝かしつけたあと、悠真はリビングのソファに深く沈んでいた。
テレビもつけず、部屋の明かりもつけずに、ただ闇の中で呆然としていた。
時計の針が、刻々と静かに進んでいく。
でもその時間の進み方は、まるで他人の時を刻んでるようだった。
「……もう、俺には何も残ってないよな……もうこの世で生きていたって…」
誰にも聞こえない声で、呟く。
心の奥にあった何かが、次第にすり減っていく。
もう千紗がいない。
あの笑い声も、あたたかな食卓も、すべて、もう二度と戻らない。
そう…もう二度と千紗はここには帰ってこないんだ…
仕事のことも、世間のことも、もうどうでもよくなっていた。
ニュースでは未だに“加害者の支援”や“再発防止”がどうのこうのと繰り返しているが、悠真にとってはただの雑音でしかなかった。
その夜、キッチンの引き出しから包丁を取り出していた。
光に反射する冷たい刃を見つめながら、黙って考える。
——もう、このまま人生終わらせてもいいんじゃないか。
——この千紗のいない世界で、これ以上、何をこの世に望めばいいんだ?
けれど、背後から聞こえる寝息が、それを引き止めた。
希の寝室から、すうすうと聞こえてくる、小さな命の音。
娘の姿が、脳裏によぎる。
「……希を、置いていくのか……?」
手の中の刃が、ずしりと急に重くなる。
希の手を引いて歩く千紗の幻が、頭をかすめた。
自分が今ここで死ねば、希と赤ちゃんはどうなる?
母を失い、次に父まで消えたら――この子達は、何を信じて生きればいい?
悠真は思いとどめて、包丁をそっと元の場所に戻した。
代わりに、コップを手に取り蛇口から水を入れ、一気にゴクリと飲みほした。
テーブルの上に座り込み、ただじっと天井を見つめた。
もう何も考えたくない。もう何も感じたくない。
けれど死ぬこともできない。
生きる理由はもうないのに、生きる義務だけが残された感じがする。
「……ごめんな、千紗……」
ひとりぼっちの部屋で、目を閉じる。
そして、無音の闇の中で、じっと朝が来るのを待った。