第4話 どうして、こんなことに
葬儀が終わってからも、現実は何一つ変わらなかった。
もう妻は帰ってこない。
目の前にあるのは、誰も座らない椅子と、静まり返った食卓。
悠真は香典返しの品をひとつひとつ包みながら、どこか上の空だった。
「ありがとうございました」と印字された白封筒の山が、なぜか虚しく積もっていく。
その言葉のどれひとつとして、自分を救ってくれるものはなかった。
リビングの隅では、希がテレビの音もつけずに折り紙をしている。
だが、それも長くは続かない。ふと、彼女が顔を上げた。
「ねぇパパ、明日、保育園行かない。」
悠真は作業の手を止めた。
「どうして?」
希は小さな声で言った。
「……またママみたいにパパがいなくなるのが、こわいの」
その言葉に、悠真の胸が締めつけられた。
子どもに、こんな言葉を言わせる世界が、いったい何なのか。
「そんなことないよ」と、やっとの思いで笑顔をつくる。
けれど、自分でもその言葉に、何の力も感じられなかった。
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夜、希を寝かしつけたあと、悠真は仏壇の前に座り込んだ。
遺影の中で微笑む千紗の写真が、どこか遠く感じられる。
「お前……何も悪いこと、してなかったよな」
ぽつりと、問いかける。
「誰かを恨んでたわけでもない。恨まれる理由も、何ひとつなんかなかった」
そう…頭ではわかっている。
報道が繰り返すように、あれは「偶然」だった。
「たまたまそこに居合わせただけ」「運が悪かっただけ」
けれど、それで納得できるはずもなかった。
たまたま?
運が悪かった?
そんなことで、大切な命を奪われるなんてことが、あっていいわけがない。
「……だったら、なんで……」
ふと、思い立って押し入れを開ける。
中から、千紗が使っていたカバンとノート類を取り出した。
手帳。家計簿。メモ帳。そして、一冊の小さな日記帳。
中を開けば、丁寧な字で日々の出来事が綴られていた。
「のんちゃんと折り紙した。うまくできたよ」
「新しいレシピ、成功! こんどパパにも食べさせよ」
「幸せだなぁ。今日も、ありがとう」
ページをめくるたび、静かに涙が滲んでくる。
言葉のひとつひとつが、生きようとした証だった。
こんなにも、普通に、まっすぐに、誰かを愛して、生きていたのに。
何の罪もなく、ただ日々を大切に重ねていただけなのに。
「……お前、こんなにも……生きたかったんだな……」
ページを閉じる手が震える。
声を殺しながら、嗚咽がこみ上げてくる。
「なんで……なんでだよ……なんでうちなんだよ…」
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その夜、悠真は一人、近くの公園に足を運んだ。
静まり返った夜道を抜けて、人気のない遊具のそばまで行く。
ブランコが、風に揺れていた。
誰も乗っていないのに、きぃ……きぃ……と音が鳴る。
夜空を見上げながら、悠真は立ち尽くす。
「なあ、千紗……ほんとに、なんでなんだよ……」
どこからも答えは返ってこない。
返事なんて返ってくるはずがない…。
風だけが、静かに通り過ぎていく。
悠真は、何もない空を見上げたまま、ゆっくり目を閉じた。