第3話 やり場のない怒り
夜、泣き声が、深夜の家に響く。
悠真は、泣き声に目を覚ますと、そっと隣の部屋へ向かった。
布団の中で、まだ産まれて間もない赤ん坊が、小さな手足をバタつかせながら泣いていた。
「……ごめんな。もうママ、いないんだよな……」
赤ん坊を抱き上げると、体温だけを頼りに少しずつ泣き止んでいく。
まだ生まれて三週間。千紗が命をかけて産んだ命だった。
「何にも分かってないのに……お前だけが、全部を受け止めなきゃいけないのか」
口には出さずに、心の中でそう呟く。
葬儀が終わってからも、現実は何一つ変わらなかった。
妻は帰らず、家にはぽっかりと空いた空席だけが残された。
テレビをつければ、毎朝のニュースが、連日他人事のようにあの事件のことを取扱っている。
「加害者の中学2年生の容疑者は精神疾患の診断歴があり、責任能力の有無が焦点に――」
「過去にいじめを受けていたことがわかり……」
「地域の支援体制の問題が浮き彫りに――」
どれも、犯人を“理解すべき存在”として描く言葉ばかりだった。
そこに、千紗の名は一度も出ない。
彼女の写真すら映らない。
まるで、「いなかった」かのように。
「……なんで、殺された側が消されてんだよ……」
悠真は、テレビのリモコンを強く床に叩きつけた。
画面が静かに暗転し、部屋には希のすすり泣く声だけが響いた。
「パパ……テレビ、こわい……」
「ごめん、ごめんな……」
幼い娘を抱き寄せながら、悠真は奥歯を食いしばった。
この小さな肩に、哀しみの意味すら背負わせるのが苦しかった。
そして、数日後。
家の前に、記者が群がった。
「ご遺族のお気持ちを一言!」
「被害者の女児に話を伺えませんか?」
「加害者の精神状態について、どう感じますか?」
マイクが、カメラが、のん(希)の方へと向けられた瞬間、悠真の中で何かが完全に切れた。
「ふざけるな!! やめろ!! こっちは人間だぞ!! 娘に何聞こうとしてんだ、あんたら!!」
怒鳴り声に一瞬ひるむ記者たち。だが、すぐに誰かが言った。
「国民には知る権利が――」
「ふざけんな……“知る”ってのは、誰かの死を踏みにじっていいって意味かよ……!」
怒鳴りながら、悠真は記者達を遮り玄関を乱暴に閉めた。
希は小さな手で耳をふさぎ、ただただ震えていた。
リビングに戻っても、心臓の鼓動は収まらなかった。
怒りが、悲しみが、悔しさが、ずっと胸の中を渦巻いていた。
それなのに、加害者は「心神喪失」で裁けないかもしれない。
妻の命は、たった一言の診断で“なかったこと”にされていく。
――どうして?
何度も自分に問いかける。
どうして千紗が?
どうして希が?
どうして、自分たちがこんな目に…?
なにか俺達が何か悪いことしたのかよ…
教えてくれよ…
答えなんか、どこにもなかった。
ニュースも、社会も、世間も、誰も答えてなんかくれなかった。
悠真は、娘を抱いたままつぶやいた。
「千紗……ごめん……」
怒りは、ぶつける相手を失ったまま、静かに胸の奥に沈んでいった。