アンドリュー辺境伯目線
今度はアンドリュー目線でこの張りてビンタ事件が展開します。
なんなんだ!
このロワイアルリル学院内とは思えない光景は!
妹の教室に入った時に数名の教師によって二人は離されていた。
赤い頬に人目を憚らず泣き叫んでいる妹。
僕は石像の様になった気がしてまったく動けない。
だけど心はガラスが砕けそうになるくらいの衝撃が走って妹の悲しみや悔しが押し寄せてきていた。
教師が頬以外打撲がないか、右往左往しながら現場はわやくちゃになっている。
同級生が教室内を取り囲み、窓越しに廊下に野次馬達が何事かと集まる光景はさしずめサーカス見物化している。
僕がこの妹の教室を訪れる前、授業の合間の休憩時間に隣のクラスの友人が僕の教室に飛び込んできて、開口一番信じられない一言を放った。
「アンディー!
お前の妹が皇女とやり合って取っ組み合いの喧嘩になってるぞ!
早く行ってこい!」
椅子を大きく引いて教室を飛び出した。
そして妹の教室で見たもの。
それがあの悲惨な現場だった。
すぐにでも妹の傍に駆け寄って、あれこれ世話や話を聞きいてその喧嘩相手に詰め寄りたかったが。
相手があのエルイシア皇女殿下。
確かに今教師に拘束されているのは彼女だった。
皇女はまだ興奮状態で、手足をバタバタさせている。
これで僕が行って更に事を大きくしたら、お父様の立場がなくなるし!
本当は行って、あれこれ世話や皇女にお説教したいけど。
………いけやしない。
でないとお父様の辺境伯としてのオルファン帝国内で地位が!
家でも何かにつけて、戦歴以外目立つなとあれほど言われているのに!!
マリーが!
僕の妹が!
マリー御免ね。
するとそのうち混乱する中でようやく、脳天が突き上がるほどの怒りがマグマの様に噴き出してきた。
っていうか!
なんで皇女たるものいきなり臣下の娘に平手ビンタなんだ!!
ありえないだろ!
僕の顔には縦線がいっぱいだ。
あぁ〜!
考えてもムカつくな!!
ごめんな可愛い妹よ!
今はお兄様はそこにはいけない。
後で後で……。
僕は心の中で大号泣していながら、皇女に対して言いようのない憎しみが生まれるのをどうしようもなかった。
呆然としている間に教師達が妹を担ぎ上げて教室を出て、皇女は何人もの教師の手で力ずくで押さえられてどこかに連れていかれた。
教室では突然の沈黙の後ルナ皇女殿下のすすり泣きがいやに響き、数名の教師が優しく宥めていた。
まあ同級生と姉が揉めたのだからそうなるのもわかる。
他の生徒はどうしていいか狼狽えて固まっているし、野次馬はちらほらお互いの顔を見合いながら少しずつ去っていく。
「さあ~。休憩時間は終わりましたよ。
皆さん戻りなさい。」
学院長の声が聞こえてきた。
後ろ髪を引かれはしたが、ひとまず教室を後にした。
全ての授業が終了した後、僕は担任に呼ばれ、妹がすでに邸に帰った事を知らされた。
帰宅後理由を求めたり、責めたりしないように助言された。
じゃあどうしたらいいのか?
まずはお父様から何か話があるだろうし。
「はい」
そう言って帰宅した。
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邸に帰ると母が珍しく出迎えて、オロオロと落ち着かない様子でエントランスに立っていた。
「今戻りました。お母様」
「アンディー。
居間に来なさい。
お父様がお呼びよ」
母は挨拶などどうでもいいとばかり、僕の手を引いて半ば強引に居間へと入っていく。
中にはすでにお父様がソファーに腰を掛けて珈琲を口にしていたが、これは寛いでいる時の週間ではなく苛立っている心を落ち着かせる時のルーティーンだった。
つまり「はい」しか言ってはいけない時だった。
「アンドリュー。
すわりなさい。」
案の定機嫌が悪い。
母はいたたまれない様子で、僕が座るのを見計らってソファーに腰を掛けた。
「ただいまもどりました」
お父様は頷いて答えた。
「アンドリュー。
今日の夕食の席でお祖母様がいらっしゃる。
失礼のないようにふるまうんだ。
いいね。
何を話していても。
決して逆らったり、意見したり、反論してはいけない」
僕はこの時、この状況はマリーの事だと直感した。
お祖母様はお祖父様が引退した後は二人郊外の別宅に暮らしている。
それに滅多に本家に来ない。
そのお祖母様が本宅に来るというのはよほどのことだ。
そう間違いなくマリーの件に違いない。
お祖母様がまだ来ていないのに嫌な緊張感が襲う。
僕はマリーの部屋に行きたかったが、この居間での会話の後にお母様から「マリーは体調が悪いので部屋で休んでいる。邪魔をしていけないから部屋には行ってはいけません」と念押しされた。
つまり僕はあの時からずっと妹に寄り添えなかったのだ。
御免ねマリー。
僕の妹なのに…………。
まんじりともせず、夕暮れ時まで宿題をしては厄介な夕食会まで過ごした。
そしてその時は訪れる。
三カ月の月がまるで刃の様に見えて僕の心を抉る。
落ち着かない自責の念に苛まれながら僕はお父様とお母様と三人で御祖母様を迎えた。
お祖母様は静かにエントランスに現れた。
流石は元伯爵夫人であり、元々公爵家の長女だった人物。
母は当然ながら父も全く頭が上がらない。
賢女で現在「稀代の皇后」と言われる皇后陛下も一目置く存在と言われている。
「お母様。
ようこそお越しくださいました。
心よりおもてなしいたします」
お父様はお祖母様の手の甲に口づけして敬意を払う。
お母様は終始俯き加減で普段の少し高飛車な所は影を潜めている。
「お母様。
ご機嫌麗しゅう。
ご無沙汰をいたしております」
「ご機嫌は麗しくありませんよ。
だから来たのですよ」
ものすごくお母様を睨んでいます。
お母様の頭が更に低くなった。
やはり怖いお祖母様。
「お祖母様。
お久しぶりでございます。
ご機嫌いかがですか?」
流石に僕には目を細めて口元を緩めた。
「お久しぶりね。
学院の生徒会長になられたと聞いていますよ。
流石次期辺境伯爵です。
本当に心強いわ」
よかった挨拶はまずは合格のようだった。
「ではお母様。
ダイニングへ。
遠方から。
お疲れでしょう。」
いつもの事ですが、お父様のお祖母様へのよいしょぶりは凄いです。
あのお父様とは思えない豹変ぶりにお母様の引いています。
僕達はダイニングへ移動して、執事達が食事の準備万端でいつもの位置に立っていた。
すっと椅子を引いて、僕達は席に着いた。
「女神ディアの祝福を」
そう言ってまず女神に祈りを捧げて葡萄酒で乾杯が夕食の作法の始まりです。
スープを飲んですぐお祖母様は本題に切り込み始めた。
「私が訪問した理由はわかっていますね。
恐れ多くも我が家の長女が皇女殿下に無礼を働いたと皇后陛下よりお知らせがきたのですよ。
なんとういう不敬でしょう。
皇后陛下は我が家の地位と重要性を重んじてご助言くださいました。
辺境伯閣下。
マリー・ルイーズの乳母、家庭教師、側近侍女、召使の全てをリストにある人物と入れ替えなさい。
あの子の教育の至らなさは彼らの責任です。
今からでも遅くない。
いいですね。
今我が家の最大の危機。
皇后陛下はフェレ皇国の国境を護衛する我が家の辺境伯としての役割をしっかりご理解されていま
す。
ありがたい事に今回の事も不問にする。
かつ学院、宮廷内でも緘口令を引くとおっしゃってくださいました。
家庭内でもこの話題は今後持ち込まない様に。
いいですね」
お祖母様の良いですねは絶対命令。
誰が意見できるでしょうか?
僕は皇室の絶対的権力を我が家でヒシヒシと感じると同時に兄として何もやるせなさと申し訳なさと何も出来ない無気力感に襲われて胸が張り裂けそうに痛かった。
多分わかりやすそうに俯いていたのがお祖母様が気がついたのだろう。
「アンドリュー。
お前の妹への愛情はわかりますよ。
けれどそれとこれは違います。
あの子が帝国の貴族の子女としての今後の為でもあるのですよ。
いいですね」
お祖母様は念押しして僕を見つめている様に視線を感じる。
「………はい…お祖母様」
お祖母様の顔をしっかり見ながらそう言うしかなかった僕の敗北感を皇女にも味わせたかった。
「お母様のおっしゃる通りにいたします」
お父様はナプキンを口元に当てて鋭い視線で当然とばかりに言い放った。
お母様は隣で頷いておられる。
この後の無言の食事会は針の筵だったが、なんとか事なきを得てアフェルキア茶を飲み終え、と早々にお祖母様は帰っていった。
翌日にはお父様は早々に使用人の入れ替えの為の人選を開始し、目途が経った後総入れ替えを終えたのだ。
妹はしばらくの間はショックだったろうあんなに明るく元気な子が潮が引いたように大人しくなったものの徐々に元気を取り戻し始めて変わらない日常が始まった。
ただその日から変わった事は妹が以前に比べて、少し我儘な所が見えなくなった事と、僕のエルイシア皇女に対する態度と言動においきな変化が起き始めた事くらいだった。