6-4
俊が陸達の待っているマンションへ戻って来たのは別れてから30分も立たないほどの時間であった。
玄関に人の気配を感じた陸がソファから立ち上がると同時にリビングのドアが開き俊が入ってきた。
「ただいま」
出かけた時と変わらない俊の様子に陸もほっとして表情を和らげる。
「どうだった?」
俊は頷くと持っていた紙を陸に渡し兼松にも頭を下げた。
「うん。ちょっとお茶しながらでも話そう」
陸と美鈴が引っ越す時に置いていったインスタントコーヒーを飲みながら3人はリビングのテーブルの上に俊が持ち帰って来た地図を広げた。Zから受け取った紙には赤い点が幾つもある地図と細かな日時が記された紙が何枚かあるだけだった。
「夜理さんが行方不明になった場所はここです。それに今日起こった場所、駐車場付近にも赤い点がありますね」
兼松はプリントアウトされた地図を指差しながら頷いた。
「同じ場所に赤い印があるからここから移動してるって事かな?そしたら、この場所に夜理がいる可能性も高いよな」
陸も地図を見ながら言うが、ふと不安な顔をして俊を見た。
「でもこの犯人、俊さんくらいの能力を持っているヤツなの?」
マグカップを持ったまま何か違う事を考えていたのか陸の問いかけに俊は顔を上げた。
「…どうだろう、分からない。俺とは違う力を持っているのは確かだけど」
「俊さんの体を乗っとるって事もできるの?」
「出来るんじゃないかな。でもそばに来ないと体を奪う事が出来ないかもしれないから先に気配に気がつけば大丈夫かもしれない。でもハッキリ言って俺もよく分からない。せめて夜理ちゃんの居場所が分かればこちらから強硬手段で行くんだけど」
そう言いながらも嫌な考えも浮かぶ。もし夜理が操られていたら自分達の動きを読まれてしまうかもしれない。夜理の能力と俊の能力は似ていた。そう考えると厄介であった。
俊が1人考えにふけていると陸が自分を見ていることに気がついたら。
「何?どうした?」
俊は顔を上げて陸を見た。陸は視線を下げると首を振った。
「いや…」
中途半端に止めた陸の言葉の続きを黙って待っていると陸は口をへの字にして頭をかいた。
「俊さん、俺の力じゃどうにもならない所にいるからさ…」
陸の言葉に俊は首を振った。
「そんなことないよ。今だって皆んなで考えているじゃないか。それに陸達がいてくれるから俺も冷静でいられる」
俊はそう言うと息を吐く。
「でも能力者絡みだから以前の仕事の仲間にちょっと相談したいとは思っている」
苦しそうな俊の顔に陸は黙ってしまった。兼松も何も言わない。
「俺、兼松さんを送った足で行ってくる。陸にはこの地図の場所の詳細を調べるの任せていいかな?どんな場所か分かれば行動しやすいし」
地図を俊から受け取った陸は頷いた。
「分かった」
「兼松さんは少し待っててもらっていいですか?」
「あ、はい」
自分の方を突然振り返る俊に兼松は返事を慌てて返した。
俊は頷くと陸の腕に触れると自宅へとテレポートする。玄関に降り立った時、陸は俊の腕を掴んだ。言葉はなく無言であったが何が言いたいのかは分かる。俊の表情はゆっくりといつもの表情へと変わる。
「陸、大丈夫だよ。危険がないように準備をしておきたいだけだから。だから…」
「分かってる。俺もすぐに動けるように調べておく」
俊は頷いた。
「よろしく」
俊の笑顔に陸はため息をつくと手を離す。
「行ってくる」
消えて行った俊に陸は再びため息をついた。
「お待たせしました。駐車場の方に戻りますか?」
兼松の前に戻って来た俊はいつもの表情で尋ねた。
「お願いします」
俊の言葉に兼松は頭を下げたがすぐに俊の顔を真っ直ぐ見つめた。
「その前に伺いたい事があります」
俊は分かっていたように頷いた。
「俺も聞きたい事があります」
兼松も頷くと少し頭を下げた。
「では、加納さんからどうぞ」
俊は頷いた。少し自分の中で整理をしながら呼吸を整える。
「今回の事で犯人側と繋がっている人物は分かっているんじゃないんですか?」
兼松は俊の言葉に少し間が空いたが頷いた。
「ええ、分かっています」
「もしかしたら明日会う方ですか?」
俊の言葉にさすがに兼松も苦笑いした。
「ええ、そうです」
「そうですか。
でしたら気をつけたが方がいいです。駐車場で相手の気配が消えてからテレポートしたので気が付かれていないとは思うのですが油断しない方がいいです」
それから少し躊躇いながら尋ねた。
「後、今更なんですが陸から俺の事聞きました?」
「まあ何と言うかさらりと、と言う感じでしょうか」
苦笑いして教えてくれた兼松につられるように俊も小さく笑った。
「そうですか」
問われなければそれ以上は話す必要はない、そう思い俊からは何も言わなかった。黙って俊を見ていた兼松は少し首を傾げながら言った。
「あなたは美鈴さんのようですね」
「え…?」
突然の言葉に俊も驚いて兼松の顔を見た。兼松もハッとしたように頭を下げた。
「すみません。妹さんのようだなんて失礼な事を言いました」
「あ…いや、大丈夫です。気にしないで下さい」
俊の言葉に再び頭を下げながら兼松は自分の発言に驚いてしまった。何か無意識に出て来てしまったのだ。目の前にいる人物は自分より背が高くどう見ても男性であった。それなのに纏う雰囲気が美鈴と同じであった。兄弟にしても似過ぎていた。
「それより兼松さんが聞きたい事は何ですか?」
俊の問いかけに兼松も我にかえった。
「ええ、先程加納さんが会いに行った相手ですが、話を聞いた感じ普通の情報屋とは違うみたいですが情報を買ったんですか?」
俊の動きは止まってしまった。しかし兼松を見ると誤魔化すよう小さく笑う。
「お金の取引はしなかったので大丈夫です」
兼松は俊を伺うように見ていたが再び尋ねた。
「では何で取引をしたんですか?タダなんて事はないと思います」
「… …そうですね」
「私達には言えない事なんですか?」
兼松の言葉に俊はため息をついた。笑って誤魔化せるような相手ではないとは分かっていたのだが。
「正直分からないだけです。相手も特殊な人間なので」
「つまり相手の言いなりになってしまう可能性もあると言う事なんですか?」
兼松の言葉に俊は真っ直ぐ兼松の顔を見た。
「俺は夜理ちゃんを助けたいんです」
「ですが、あなただけに負担をかける訳にはいきません。私達組の問題でもあります」
兼松は真っ直ぐに俊の顔を見返す。
仕方なく俊は正直に言った。
「俺自身が取引なんです」
兼松が言葉を発する前に俊は遮って言葉を続けた。
「でも命を渡すとかはしません」
「加納さん…」
「もう行きましょう。12時を過ぎてしまった」
リビングの電源を切った暗闇の中で兼松が俊を見ていた。
「兼松さん、あなたも明日には敵地に行くんですよね。大切な人のためになんでしょう。同じです」
そう言うと俊は兼松の手を取り駐車場へとテレポートした。
辺りは静かで誰もいない。
「ああ、それから陸には今の話しないで下さい。あいつ心配性だから」
そう言うと無言のままでいる兼松の前から俊は消えた。
日付も変わった深夜に突然やってきた俊の話を黙って聞いていた特殊機関W I(世界情報機構)の上司であった桐生翔はうんざり顔で顔をしかめた。
「こんな時間に突然やって来て何だと思えば、何でお前はいつも厄介ごとに首突っ込んでんだ?」
翔はタバコの煙を吐き出しながらソファの背もたれに寄りかかる。
「ごめん。仕事終わりで疲れているのに本当にごめん」
翔は再び大きくため息をつくと吸い殻が山になっている灰皿にタバコを押し付けた。
「あのなぁ、仕事帰りだの遅い時間だのはいつもの事でどうでもいいんだよ!俺が言いたいのはお前がどうしようもない馬鹿ヤロウって事だ。藤原を助けたい気持ちは分かるが今回も能力者絡みなんだろう。相手がどんなヤツか分からない上に、そいつのバックに組織があったらどうするつもりなんだ。お前の素性がバレたらどうする?」
「それはないと思う。あるならヤクザ絡みだと思うし」
「何で言い切れる?相手がどんなヤツか分からないんだろう。不確かな情報で判断するなよ。下手すればこっちまでとばっちり食う羽目になるんだぞ」
「… …」
向かいに立っている俊に翔は目を向けた。
「お前なぁ、WIから抜けて組織との関わりを絶った筈なのに何をしようとしてんだ?
もし捕まってみろ、今みたいな生活は送れなくなる。下手すりゃ、一生研究所で体いじくり回されるかどこかの飼い犬になるかだな」
「… …でも夜理ちゃんが捕まっている。見て見ぬ振りなんて出来ない」
翔は再びため息をつきタバコを取り出す。
「厳しい事言うようだがWI の能力者を扱う部署は縮小されている。今後数年のうちなくなる部署だ。力にはなれない」
翔の言葉に俊は何度か頷いた。
「分かった。ありがとう。
話を聞いてもらえて少し冷静になれた。…ごめんな夜遅くに。じゃあ」
行こうとする俊の背中に何か不安を感じる。
「俊!」
驚いて足を止め振り返る俊。
「裏は…裏だけは使うなよ。お前の情報を与えるなよ」
「… …」
動きが止まり翔を見ていた視線が逸らされた。
「まさか使ったのか?」
翔は立ち上がると何も言わない俊の腕を掴み自分の方を向かせた。仕方なく俊も視線を向けた。
「さらった犯人を見つけるために情報をもらった。相手が能力者だったから」
「『Z 』からか?」
頷いた俊を翔は見つめていたが息を吐いた。
「よりによって何であの男なんだ?
お前も知ってるよな。あの男は頭は良いがハッキリ言って変人だ。まともじゃない」
「知っている。だけど能力者の情報を誰よりも持っていて正確だ。それに早い」
翔は舌打ちをする。
「あの男が個人の頼みを聞き入れたって事は、金で請負ったんじゃないんだろう。何で取引をした?」
俊は参ったように顔を歪めたが翔の目を真っ直ぐ見て答えた。
「俺で取引した」
翔も黙ったまま俊を見つめる。
「命は渡さない。24時間『Z 』に付き合うだけだよ」
何も言えないでいる翔から俊は体を離すと視線を下げた。
「じゃあ」
行ってしまった俊。
翔はソファに座るとテーブルの上に置いたままのタバコの箱を拾った。
「馬っ鹿たれが」
自宅に戻って来た時には午前1時を過ぎていた。
俊は玄関から電気が着いているリビングへと行くと陸がソファに座って待っていた。
「ただいま。遅くなってごめん」
陸は立ち上がると俊を見つめる。俊は美鈴にと戻ると陸のことを優しく抱きしめた。
「……」
陸がギュッと抱きしめ返すと顔を美鈴の肩に乗せる。
「心配した」
「翔のところに行っただけだよ。1人で勝手には動かない」
陸は頷いた。
「分かってる。分かってるけど会うまで心配なんだよ」
「ごめん。でも大丈夫だよ」
「美鈴と俊さんの大丈夫は当てになんないよ」
陸の愚痴に思わず笑ってしまった。確かにそうかもしれない。
美鈴は陸から離れた。
「そろそろ寝ないとね。明日も仕事だ。私、着替えてくる」
陸は頷いた。しかし美鈴の後ろ姿を見ながら不安はまったく拭い切れないでいた。