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痴漢冤罪にあったら、相手方女の目を突き刺せ!

作者: 夢野ベル子






「こ、この人、痴漢です!」






わたしは対人恐怖症である。

といっても、メンタルヘルスなどにかかっているわけではない。

生まれてこの方30年、曲がりなりにも社会に適応して生きてきた。

会社勤めで、ほんの少しだけ精神分析が好きな、どこにでもいるような普通の男だ。


わたしは自分のことを今しがた、対人恐怖症だと呼称した。

しかしながら、他方でそれを『普通』とも称している。

したがって、少なくともわたしの主観において、対人恐怖症であるということは普通であるということである。

現代人は、多かれ少なかれ対人恐怖症的な性質を有している、と主張しているのである。


例えば、ネットの世界では『コミュ障』という言葉がナチュラルに使われたりするだろう。

あるいは、アスペ――、アスペルガー症候群であるという言葉を使ったり。

症状に着目すれば、確かに精神病域に属しているようにも見えるが、しかしそれらは健常者による装いであることがほとんどだろう。

ソフトな言い方をすれば、草食系という言葉が印象に近いかもしれない。


他者が何を考えているかわからず怖い。

とりわけ、男女の性関係など、怖くてたまらない。

女という性別は本能的に捕食者なのではないかと思う。


カマキリを見よ。

カマキリはセックスのあとに、メスがオスを食い殺す。

そうでなくても、接触を伴う交合の場合、メスはオスを受け入れる構造をしているではないか。

つまり、オスのファルス、生理学的にはペニスというソレをメスは喰い殺すではないか。


女は生来的に不感症である。

セックスを不快なものとして捉えている。

男がセックスを善として捉え、快楽として捉えているのに対して、

女は心の底ではセックスを不快なものとして捉えている。


男がセックスを快であるとするのは理由がある。

もともと原初的な性関係は、母と息子という関係であるが、

ここで息子である『わたし』は母親とセックスをしているようなものだ。


もっとも、このセックスは母親による一方的なものであるから、

いつなんどき、『わたし』という自我が喰われてしまうのかという恐怖を帯びることになる。

しかしながら、これを象徴的なファルス、つまりは父親という母によって愛されている存在を導入することで征服する。

母親を逆レイプすることで、性関係は快であるということになる。

トラウマが克服されるのである。


逆に女には象徴的ファルスの導入が複雑かつ曖昧に行われる。

女にはペニスはない。象徴的ファルスによる征服がおこなわれない。

なので、破瓜の痛みに脅えて、処女の時代を過ごすことになる。


だから、『女はセックスするのを男に許す』という言葉があるのだ。

セックスに対する不快を許容している事に対して、心理的な報酬を支払うべきだということになる。

おまえは喰い殺されても仕なのない罪を犯したのだ、と。

罪は贖わなければならない。






「あ、あの……違います。そ、そんな痴漢だなんて。僕は……」


「この人。私のお尻を触りました。気持ち悪い! 犯罪者!」






 先ほどからババァが喚いている。

 ババァといっても30代くらいの女性で、恰好はОL姿。

 化粧濃いめのどこにでもいる女である。


 満員と呼べるほどでもない絶妙な混み具合の電車。

 それが今のわたしがいるシチュエーションである。

 そして、今しがた、女から痴漢であると虚偽の申告を受けた。


 言うまでもないことであるが、わたしはわたしが痴漢をしていないことを知っている。

 わたしは少なくとも犯人ではない。女が誰か別の者に痴漢された可能性は存在するが。

 女がわたしを痴漢であるとするのは、虚偽であるか、あるいは単なる勘違いである。

 

 しかし、女のわたしを見るまなざしは、憎悪に染められていた。

 まさに、許可を出してもいないのに、セックスを強要したかのように。

 許されざる罪を犯した者を見るように、わたしを見ていた。


 やめてくれ。

 わたしは、対人恐怖症だ。

 いや、女性恐怖症だ。


 精神分析的に言えば、原初の母子関係――。

 すなわち、母親からのレイプを克服できず、トラウマを抱えたまま生きている小市民だ。

 わかりやすく言えば、わたしはマンモーニ。マザコンなのだろう。

 母はしつけに厳しい人で、僕は母の言いつけを守ってばかりで、ここまできてしまった。


 いまさら、それを母のせいだというつもりはない。

 わたしもいい年をした大人であるし、性関係を持ったことは無いが、社会的な生活を営むことはできているのだから。

 母には育ててもらった恩もある。

 犯罪者にならないように。罪を犯さないように。善いこと、悪いこと。そういった価値観を教えてもらった。






「おいおい。マジかよwww。電車降りろよチー牛おっさんwwww」






 わたしは不良少年に詰め寄られていた。

 そいつは金髪でピアスをしていて、スマホのカメラはわたしに向けられている。

 場合によってはSNSなどに拡散しようとしているのだろう。


 肖像権などの問題もあるが、それらは法的には未整備であるというのが実情だ。

 例えば、犯罪行為を証拠として確保するためと言われれば、お咎めなしということもある。

 グレーな領域に属する。


 その少年がわたしというイケニエを見つけて喜んでるに過ぎないとしても、

 建前上は、痴漢という不正を働いた(かもしれない)わたしを断罪する正義の行いをしているということになる。

 周りの人間もわたしに対する態度は冷たいものだった。

 どちらかといえば、関わりたくないといったもので、わたしが痴漢をしているかどうかはどうでもいいというふうに見えた。

 もちろん、他者のこころなんてものは見えないのだから、それらはわたしが見た妄想に過ぎない。

 ただ、こういったシチュエーションにおいて、ほとんどの場合、孤軍奮闘にならざるをえないだろう。


 女が痴漢を主張するとき、相手の反撃の可能性を考えて、あえて黙っておくということが生存戦略として考えられる。

 したがって、その逆説として、主張しにくいことをあえて主張しているのだから、痴漢はあったのだろうと推測しやすい。

 それは単純な因果関係の誤謬に過ぎないのであるが、こと痴漢においては有効性を発揮する。


 女が痴漢を主張している場合、無条件に無証拠に正しいのだ。

 本邦における刑法の理論では、疑わしきは罰せずというものがある。

 しかしながら、痴漢というシチュエーションにおいては、疑わしきも罰するというふうになるのである。






「ぼ、僕は痴漢なんてしていません。本当です」


「だってよ。おばさんwwww」


「嘘です。触りました!」


「僕は触ってなんかいない! あんたみたいな魅力のない人を誰が触るか」


「なんですって! 死ね! キモ犯罪者!」


「まあ確かにwwww痴漢するほどのものでもないなwwww。でも趣味は人それぞれっしょwwww」






 恐怖と怒りがないまぜになった感情が湧く。

 恐怖は先ほども言ったように、トラウマから惹起される感情であろう。

 女というものはその意思ひとふりで、男の社会的地位も名誉も、曲がりなりにも生存してきたという矜持すら奪い去れるのだ。

 カマキリのカマのように。

 ひとふりで。

 首を切り落とされる。

 ペニスを切り落とされる。


 怒りは――。

 そう考えると、わたしの中にもまだ去勢されていない部分が残っていたということだろうか。

 トラウマに対する防衛機制だと考えるのが妥当であろうか。

 人間の心理遷移は基本的に自己防衛的なものである。


 例えば、人間は自分が不幸な状態であることに耐えられない。

 なので、自分は幸福であると思いこもうとする。

 いま、まさにわたしは痴漢冤罪という不幸を受けているわけであるが、その不幸を感受したくないので、「怒り」を覚えたのだろう。


 っていうか、クソうぜえよババァも。クソガキも。


 闘争心に後押しされて、わたしは反論する。






「触ったという証拠はあるんですか! 名誉棄損で訴えますよ!」


「脅迫しようとするの? 最悪。人間のクズ。どうせモテないから触りたくなったんでしょ!」


「チー牛顔でモテないから触ったっていうのは説得力ありすぎwww」


「君」サラリーマン風の男が話に加わった。「本当にしてないというのなら駅員を交えて説明したらどうかね」






 駅員室。それは実質的な敗北に等しい。

 そもそも痴漢したという証拠もなければ、同様に痴漢をしていないという証拠もない。

 なにかをしていないという証明は、悪魔の証明といって非常に困難なのだ。

 駅員室に連れ込まれ、痴漢をしたという決め打ちで事が進めば、確実に有罪となる。


 そうでなくても、疑いを晴らすために膨大な時間と金を費やさなくてはならないだろう。

 仕事を失う。

 周りからも、痴漢をしたんじゃないかと疑いの目を持たれる。

 母からも軽蔑されるだろう……。


 臓腑が冷たくなった。

 胃がそりかえるほどの肉体的反応。

 それは疑われるコストを一方的に支払わされているという不公平さからくるものだ。


 自分が犯罪者として疑われるということは、もちろんわたしとしての不利益である。

 古典的な正議論に従えば、「最大多数の最大幸福」が善であることから、実際に痴漢犯罪に合う人間と痴漢冤罪に合う人間の総和を比較して、女の主張が正義に適うかといことが判断されるだろう。

 わたしが痴漢冤罪に合ったことも全体の総和としては社会秩序の一環として吸収される。


 もしも、いま弾劾しているのが女子小学生であればどうか。

 わたしが反論してもなお、『子どもの安全・安心』のほうが優先されるべきという論調になるのではないか?

 疑われるというコストを無条件に不審者である男が支払うべきだと。


 今回は多少異なるが、実質的にはその延長上にある話といっても過言ではないだろう。

 女は男よりもか弱い存在である。守られるべきであるという主張は、フェミニスト的には首肯できないところだろうが、社会的な合意としてはなお優勢である。また、実際に日本に跋扈するフェミニストを自称するやからも、『わたしの権利をもっと拡張せよ』ということを主張しているのであり、『わたしを守りなさい』ということを言っているのであるから、建前的にはアファーマティブアクションあたりを持ち出すにしろ、心情的にはおおいに賛同するのではないか。


 つまり、結論として――。

 わたしはこのままいくと、犯罪者として認定され、警察に捕まり、刑務所に入れられるということである。

 

 繰り返しになるが、わたしは社会生活を送ってきた、ただの普通の人間である。

 したがって、わたしは去勢された人間である。

 去勢された人間は、少なくとも公共の福祉という概念を理解できるであろうし、その場合における個々人の不利益をわずかばかりであるが超克できる部分があるということである。


――善き人間になりなさい。


 実際にそういわれたわけではないが、概ね母から言われてきた教育方針はこのようなものである。

 それはわたしの精神構造として刻みこまれていると言えるだろう。

 思うに、善きこと――つまり、正義とはなにか。


 正義とは正常であること、だろう。

 定型発達――すなわち健康的な発育こそが正義に適うだろう。

 言語を交わし、社会的ルールに身を浸し、人生というゲームに興じる。

 それこそが正義だろう。


 そうでなければならない。


 であれば。


 女の言い分はどうであろうか。

 異常であろう。

 女は主観的には痴漢被害を受けたのかもしれない。

 しかしながら、主観的な経験を絶対視し絶対善と置く傍らで、わたしを――他者を悪であると断じる。

 これが異常でなくてなんなのだ。






「異常ですよ。何もしていない人を捕まえて犯罪者扱いするなんて」


「あんたの風貌のほうが異常なのよ」


「どうしてそんなことがわかるんです?」


「誰が見たってそうでしょ」


「おっさんがおどおどしているのはwwwまあ不審者っぽいかなwww」






 話にならないとはこのことか。

 先に述べた公共の福祉なる概念も人権の規制根拠になりうるものである。

 しかしそれは言い換えれば、互いの『ちょっとした譲りあい』のようなものではないか。

 最初から譲りあう気がないのであれば、それは社会に適合していない。

 すなわち、なんらかの精神異常が疑われる。

 実際になんらかの精神障害域にある場合、彼女自身を罪には問えないだろう。


 例えば、痴漢冤罪を受けた場合に、相手方女を名誉棄損で訴えることで、痴漢冤罪を抑止しうるという論が存在する。

 これは、痴漢を訴えることが、実質的に女にとってノーリスクであるという不公平を少しでも是正しようとする努力であろう。

 まともな人間であれば、自分がリスクをとってまで相手を加害しようとは、なかなかしないはずだからだ。


 つまり、これは実際に痴漢をされたという確信や確証があってはじめて、痴漢を訴えるというインセンティブが働くことになり、痴漢冤罪を減らすことにつながる。


 ――と、言われている。


 しかし、実情はどうか。


 現実的には痴漢を訴えられた場合、名誉棄損などで逆に訴えたところで、そのリスクは男のほうが圧倒的に大きい。

 それは先に述べたように、男がひとたび痴漢として訴えられたときに失うものは、すべてであるからである。

 社会的地位も名誉も、性欲に負けたみじめな犯罪者というレッテルに覆われる。

 対して、名誉棄損が認められたとしても、女が失うものはせいぜいが金である。

 世論としては、『女が怖がって自衛したに過ぎないのであるからあまり攻めるべきではない』という風潮になっている。


 これは、不正義な状態である。

 女の不正な加害が、女の心神喪失によって免ぜられるとしても、それは社会的な正義を減じこそすれ増大させるものではないだろう。

 わたしが気がかりなのは、つまるところ正義の行く末であって、わたしの復讐の達成ではない。


 




「あ、駅員さん。この人、痴漢なんです!」


「ち、違う! 僕はやってない。この女が勝手に喚いているだけで異常者なんだ」


「まじ必死wwww」


「異常者ってなによ。異常なのはあんたでしょ。この変態!」


「僕は二次元専門なんだ!」


「いい年して、アニメのキャラで性欲解消してるなんて、やっぱり異常者はお前だよ!」


「人の趣味は勝手だろうが! あんたみたいなオバサンは趣味じゃないって言ってるんだよ」


「あー、お話を詳しくお聞かせ願いたいので、降りていただけますか?」






 降りたら人生終了。

 疑わしきを罰するという巨悪に屈してしまうことになる。

 女がわたしを痴漢で訴えるということ自体は、そこまで大きな悪とはいえないだろう。

 気持ち悪い虫を除けようとする、ぐらいの意味しかないのかもしれない。

 しかし、正義の観点からみて、わたしが痴漢冤罪によって社会的に死ぬというのは、社会における正義の敗北にほかならない。


 なので……。

 復讐ではなく、正義のために、正当なる反撃を加えなければならない。

 加害は明らかである。

 善い人間になることを矜持としてきたわたしにとって、犯罪者になることは精神的死と同じである。

 倫理的な正当防衛をもって、対抗することこそが正義に適っている。


 なぜなら――。

 なぜなら、痴漢を犯すような人間がことさら罪を重ねるというインセンティブはないからだ。


 女が喚き散らす。

 不良少年はゲラゲラと笑う。

 駅員はメンドウくさそうな顔で、わたしを連行しようとする。






「死ねよ。変態!」






 カッと頭に血が上った。

 正義、平等、自由、精神、いくつもの言葉がスパークして、真っ白になって。

 スーツの裏側にいつも忍ばせているボールペンを握り締めて……。






「う、ぎゃ、ぎゃー」






 刺した。






 僕は女の目を突き刺していた。ぬちゅぬちゅとした感覚が手に伝わる。

 まるで、どろんこ遊びをしているような背徳的な遊び。

 気持ち悪いのが気持ちいい。ねるねるねるねは、ひひっ。

 硝子体を突き破った時の爽快感に頭がおかしくなりそうだった。

 いや、もう僕の頭はイカれているのかもしれない。

 防衛本能にしたがって、キチガイ無罪を狙っているのかもしれないけれど。


 自嘲的な笑み。

 対して、女のほうは恐怖に歪んでいる。


 目はふたつある。

 もうひとつ刺さなきゃ。

 呆然としている女、不良少年、駅員、そして周りのギャラリーたち。

 僕は機械的に狙いすまして、もう片方の残った目を狙う。

 女は防衛動作をおこなう。腕を少しあげて、顔面を保護しようとする。

 馬乗りに。

 奇妙なことに誰も止める者はいなかった。

 たぶん、異常すぎる光景に判断が停止してしまっているのだろう。

 振りかぶって!

 両手の手でボールペンを握って!






 グチュ!






 おおっと、これは夢野選手いい手ごたえだ。

 脳髄の奥がしびれて、脊髄から電気信号がかけのぼってくる。

 十分に突き刺したあとは、ペンをゆっくりと引き抜いた。

 硝子体か血液かわからないが、赤黒い液体でぬっちょりとペンが糸を引いた。

 女の目が在った場所は、赤黒くおぞましい穴が見えた。

 僕は唐突に気持ち悪さを感じ、その場に吐瀉物をぶちまけた。

 その場で倒れこんでもだえている女の身体にも当然のなりゆきで、僕のゲロまみれになった。

 ゲロはまちがいなく僕のものなんだけど、ゲロまみれになっている女を見て、キタナイなーという感想を持ったのだった。






――――――――――――――――――――――



 警察は28日、30代女性を傷害した容疑で31歳の男を再逮捕しました。


 傷害容疑で逮捕されたのは、夢野ベル子容疑者31歳です。


 警察によりますと夢野容疑者は、電車内で被害者女性から痴漢であると訴えられたことに激昂し、持っていたボールペンで目を突き刺すなどのけがをさせたとして、傷害した疑いが持たれています。


 逮捕された当時、夢野容疑者は「正義の行いだ。汚い女め。ざまあみろ」などと言って、反省する様子はないとのことでしたが、


 駆け付けた警官に取り押さえられたときに、下腹部が勃起しており、痴漢においても詳しく取り調べている模様です。


 なお、痴漢の容疑について夢野容疑者は、否認しています。






この作品をエッセイ形式にできない時点で、所詮、夢野ベル子はフニャチン野郎なんだよ

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは純文学ですね。
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