逃げることは本能、本音を言わなければならない時はある。それでうまくいかなくても、後悔はしない
そろそろこの短編シリーズも描かなければならない短編を書き、ゴールを考えなければならない、とんかつ醤油です。
よろしくお願いします。
私の人生に影響を与えた人間は二人いる。いやめちゃくちゃにされたと言っていいかもしれない、会わなければ、また違った人生を送れたかもしれない。本当に運が悪かった。
一人はG先生という高校時代の教師だ。ただ、私からしたら、人生を変えられた無茶苦茶な先生だったが、他の人から見たら、熱血漢がある普通の先生かもしれない。
学校に一人や二人いる普通の人間で間違っても犯罪を犯す人間ではなかった。
私がG先生と完全に距離を置けば、あるいは1ヶ月学校を休めば、誰かに本音を打ち明け相談をすれば、メチャクチャな人生にならなかった可能性も大いにある。
断っておくが、これは20年前の話である。
この作品タイトルは今の私が過去に戻ることが出来たのなら、過去の自分に言ってやりたい言葉である。
私とG先生の接点は高校の部活、ウエイトリフティングだ。そして、大きな不運が何点もあった。
G先生は私が知る限り、ウエイトリフティングを生涯スポーツだと考えている人間で、高校生をスポーツ推薦でウエイトリフティングを大学に行かせることを使命としていた。不運1
私の住んでいる県のウエイトリフティング協会はマイナースポーツで競技人口が減っていたので、ウエイトリフティングのスポーツ推薦をし、ウエイトリフティングの大学に進学させることがウエイトリフティングの恩返しだと考えていた。不運2
私の代はウエイトリフティング部はほとんど期間で私とG先生しかいなかった。マンツーマンレッスンをさせられたのと、ウエイトリフティングがつらいと言う相談ができなかった。不運3
ウエイトリフティングはマイナースポーツだった。それに階級性の競技だった。ゆえに、県内では私がやっている階級では私を入れて10人ぐらいしかいなかった。ゆえに真面目に練習するだけで、全国大会に行くことができた。不運4
私は勉強ができなかったが、私自身が大学に行きたかった。もちろんウエイトリフティングと関係ない所で、うちの親は私が勉強をできないので、すぐに就職をさせたかった。それが不運5
私が物覚えが悪く、ウエイトリフティングをすぐ嫌いなっている状態で続けているし、G先生もウエイトリフティングを発展させることを使命と考えていたので、辞めさせる訳にはいかなかった、
G先生は自分をウエイトリフティングのプロ選手と考えているような所もあり、プロが部活でタダで教えているから、ウエイトリフティングを3年続けるのは当たり前、そしてウエイトリフティングでスポーツ推薦させ、オリンピック選手を育てることを夢にしていた。
練習は軍隊のスパルタ式、指導は極道のような物で、G先生は私を平気で怒鳴ることが出来る人物で、毎日怒鳴られ、私は完全に萎縮してしまい、G先生に従うような人形のような存在になった。
県内でも少数だが私と同じような人間は何人か言った。そういった人物でも先生と話し合いゆえに大学に進学する時は自分の有利な所に進んでいたのだが、
恩を仇で返すのかとか、怒鳴られて結局ウエイトリフティングのためだけの大学に進学した。
合計7年も好きでもないウエイトリフティングに時間をかけた。
この教訓では先が見えなかった未来の中でも、選択肢を広げて、やる時には必ずやる。そして人間には絶対にひいてはならない時がある、もしくは逃げなければいけない時がある、それだけである。
これで20年間たまっていた物を吐き出して、スッキリした。
お便りよろしくお願いします。