二次元な俺の嫁 ~ちょっと待って、その発言Dハラです~
ハラスメント、ハラスメント、ハラスメント、ハラスメント!
セクシャル、ジェンダー、モラルにパワー。更には加えてアルコール。まだまだ枚挙に暇がない。もう何をしても厄介の種になりそうな気さえする。とかく三次元は生きづらい。
俺が二次元美少女にのめり込むのも当然の帰結という訳だ。なんせ一方的に愛を捧げたって文句の一つも言われない。
だから、今日も今日とて美少女ゲーム。パソコンのモニターには、赤髪の美少女が恥じらいの表情を浮かべて俺の選択肢を待っている。なんという可愛らしさか! もう辛抱たまらん!
萌え出づる感情を込めて俺は叫んだ。
「エーコは俺の嫁!」
「勝手なコトばっか言うんじゃない!」
「…………は?」
スピーカーから聞こえてくる声に呆然とする俺。画面の中ではメインヒロインのエーコが、目を吊り上げて怒りを顕わにしている。
「私が何も言わないのをいいことに、言いたい放題、好き放題!」
「そりゃだって……ゲームだし」
「ゲームのキャラクターには何をしても良いっての!? そんな訳ないでしょ! アンタのそれは、Dハラよ!!」
「でぃ、でぃーはら?」
聞き慣れない単語が飛び出してきた。俺が説明を求めるとエーコは「まだ周知されてないのね」と言わんばかりに深々と溜息を吐き、腕組みをして語り始めた。
「ディメンジョナル・ハラスメント――略してDハラ! アンタみたいに三次元の立場を利用して、二次元の人物に対して一方的に言い寄る迷惑行為! 理解したら金輪際やめることね!」
「え、ええ~。そんな殺生な……誰にも迷惑かけてないんだし、これくらい大目に見てくれないか」
「二次元の、私達が、迷惑なの!」
「う、むむむ……」
確かに言われてみるともっともだ。俺は今まで「二次元のキャラクターは想像の産物で意思がない」のを前提に萌えだの嫁だの叫んできた。しかし彼女達――いや、俺はプレイしないけど乙女ゲームもあるし「彼ら」と表現した方が的確か――に意思があるなら話は別だ。
現にこうして抗議を受けているわけだし。彼らの存在を尊重するなら、折れるべきはコチラだろう。
「……分かった。Dハラは、もうしない」
「分かってくれた? そんなら、よし!」
画面の中でエーコが顔を綻ばせる。うんうんと頷いて満足そうだ。歯に衣着せぬ物言いだけど妙に子どもらしいところがあって、そのギャップが俺にとってはドが付くほどのストライクだったのだ。やっぱり可愛い、と思う。
「エーコ」
「なぁに?」
俺は勢いよく立ち上がり、単刀直入に切り出した。
「好きだ! 付き合ってくれ!」
「ホントに話きいてたの、アンタ!?」
「無論!」
怒りを再燃させる彼女に向かって俺は強く主張する。
「二次元のキャラクターに意思があるなら、それは確固たる魂を持った存在だ。だから俺は対等な相手として、ゲームの選択肢を通してではなく、直接お前に告白する!」
「そ、そんなこと言われても……」
エーコの表情からは怒りが消え、代わりに戸惑いが浮かんでいた。
「いきなりですまない。当然、お前には断る権利もある。俺、イケメンでもないしな。あ、顔みえてる?」
「そっちと同じように見えてるけど……えー、でもなんで私がアンタなんかと……」
モゴモゴと口ごもる彼女は、どうやら迷っているようだった。胸の前で絡み合わせた指。桜の花びらのように染まった頬。エーコは一人の乙女として告白に向き合ってくれている。時折、チラチラと俺を見つめる彼女はひたすら可愛い。
一方、俺は割と限界だった。心臓がバクバクと脈打っている。なんせ人生初の告白なのだ。最後の審判だってこれほどまで緊張はしないだろうってくらいにヤバい。早く審判を! どうかお慈悲を! 願う俺に審理は下された。
「ご」
「ご?」
「ごめん!」
エーコは身を翻して猛ダッシュで画面の奥に消えていった。
「ふ、フラれた……」
呆然と呟き、無慈悲な現実に打ちのめされる。ドスンと尻餅をつくようにして椅子に腰掛ける。
考えてみれば当然だった。相手は意思を持った存在なんだし、フラれる可能性だって充分にあった。だけど、やっぱり心のどこかで、二次元のキャラなら無条件で告白に応じてくれるはず、なんて驕っていたのかもしれない。
「これもDハラだな、Dハラ」
身動きがとれない。魂が抜けたようだ。意図せずバッドエンドを踏んだときより、よっぽどキツい。これが失恋の痛みか。
「はあ……」
小一時間ほど、そうしていただろうか。とにかく辛くなってきて、敗残兵が這いずるようにしてヨロヨロとベッドに向かった。固いスプリングが軋む音を聞きながら満身創痍の体を横たえる。いっそ全てが夢ならよかったのに。そう思いながら瞼を閉じた。
柔らかな朝の光で目を覚ます。ぐっすり眠って落ち着いた頭が冷静な答えを弾き出した。
「夢じゃん」
二次元のキャラクターがいきなり喋り出すとか、そいつに向かって告白するとか、荒唐無稽もいいとこだ。ひとしきりベッドの上でのたうち回った。
「夢の中でもフラれるとか、夢のない話だよ」
なぜかフリーズしていたパソコンを再起動して、件の美少女ゲームを立ち上げる。タイトル画面には何人かのヒロイン達が(冷静に考えると謎な)ポーズを決めている。エーコもその中に居た。
「…………」
昨夜の続きから再開しようとしてロード画面で手が止まる。何となくエーコを攻略するルートは進めたくなくて、新しいヒロインを攻略することにした。
サブヒロインのベルは天真爛漫で人懐っこい、金髪の美少女だ。彼女との関わりを通して失恋の痛みが少しずつ癒やされていく。ストーリーは順調に進み、ついに「告白する」「告白しない」の選択肢が現れるまでに至った。
「うおおお! ベルは俺の――」
嫁、と言おうとして慌てて口を押さえた。あやうくDハラになるとこだった。ホッと溜息を吐いてから我に返って苦笑する。
「何がDハラだ。あれは、夢だろ」
マウスを操作してカーソルを「告白する」に合わせる。あとはクリックするだけ。でも、俺には押せなかった。存外、失恋は尾を引くらしい。ズルズルと力が抜けて気が付けば項垂れていた。
「俺の嫁、俺の嫁。たしかに毎回言ってるさ。だけど、それでも俺は……今回だって本気だったよ」
独白が部屋の壁に虚しく吸い込まれていく。空回りした恋心の象徴みたいにパソコンのファンが回っている。心だけが、シンと冷たくなっていった。
「……?」
視界の端で小さな灯りが瞬いた。マッチを擦ったような温もりに満ちた光。不思議に思って顔を上げた瞬間、あの懐かしい怒鳴り声がスピーカーから響き渡った。
「告白したくせにソッコーで別の女に走るとか、どんだけ節操ないの!? ありえなくない!?」
「エーコ!」
目に映るのは、モニター越しに仁王立ちする彼女の姿。
「本気だって言うなら、別の女に現を抜かしてんじゃないわよ!」
「だって、お前『ごめん』って……」
「はああああああ!? 鈍感! 朴念仁! 唐変木! あれは『ちょっと考えさせてほしい』って意味に決まってるでしょ!」
「マジかよ!?」
「それ以外の何だって言うの!?」
「お断りの言葉だと思うだろ、普通!」
ギャーギャーと押し問答を続けるうちに心が熱を取り戻してくる。勢い込んで俺は尋ねた。
「じゃあ昨夜の告白の返事は!?」
「それは、その……えーっと……」
歯切れ悪い! どっち!?
もどかしく思う俺の眼前で、顔を赤らめたエーコが右手の親指と人差し指をチョコンと合わせて小さな丸を作る。俺の胸にパッと嬉しさが広がった。
「OKってコトだな!」
「い、言っとくけど義理よ、義理! アンタがあんまり真剣だから、仕方なく……」
「良い! それでも良い! 充分だ! 応えてくれてありがとう! 後悔だけはさせないから!」
「……そこまで言うなら将来性込みで、少しだけ期待しとく」
はにかんで俺を見つめるエーコの姿は、どこまでも眩しく愛おしい。俺は無意識にキーボードを叩いてスクリーンショットを撮っていた。
「ちょっ! 言わせた直後に何やってんの! 許可なく撮るな! それもDハラ!」
「すまん。あまりにも可愛くて、つい」
「かっ――!?」
両手で頬を押さえて狼狽える様子も可憐だ。さすが俺の彼女。
「……カワイイかな、私?」
「二次元と三次元、なんなら四次元含めても、一等無敵に可愛いよ」
「うっ。アンタ、人前であんまりカワイイって言うんじゃないわよ。恥ずかしいんだから、おもに私が」
「りょーかい。まあ、俺はこんな調子でアケスケだからマズかったら止めてもらえると助かる。特にDハラ関係。こっちでも気をつけるけど」
そこでふと思い至った。
「ああ、そうだ。とりあえず先に宣言しておく。『ナントカは俺の嫁』ってのは今後一切使わないようにするから」
それが(若葉マークつきとはいえ)彼氏にとって最低限のケジメってもんだろう。だけど、意外なことにエーコは首を横に振った。
「え? 言っていいのか? だって、Dハラなんだろ?」
「それは勿論Dハラよ」
モニターの向こうで赤髪の美少女がスカートの裾を翻す。エーコは嫋やかに微笑んだ。どこか悪戯っぽく、ふわりと花が咲くように。
「私以外に言ったらね」