エクシス
朝六時。いつもの時間に目が覚める。
今日の朝食当番は俺。八時に間に合わせればいいからまだ準備をするには早いが、今日は凝ったものを作りたい気分だから早めに下準備をはじめよう。
起きあがろうと上体を起こしたところで、部屋のドアがノックされる。こんな早い時間に珍しいな。
「どうぞ」
ゆっくり丁寧に開けられたドアから現れたのは言うまでもなくレア。この屋敷には二人しかいないから当然だ。
「おはようタクト」
「おはようレア。こんな朝早くにどうした? 何かトラブルでも発生したのか?」
「ううん。はい、コレ。タクト宛てに届いてた」
差し出されたのは長方形の箱。これはもしや。
飢えた獣のように素早く乱暴に包装をはがして中を確認する。
整備から返ってきた俺の愛剣だ。すぐさま手に取り、矯めつ眇めつ眺める。
「色つや良し。握った感触良し。研磨したからか比重は誤差レベルで変動しているが問題無し」
刃渡り五〇センチのシンプルなナイフ。色は純銀とは若干異なるアッシュグレー。
「それ、もしかしてエクシス?」
「そうだ。俺たち想起兵にとってなくてはならない大切な相棒。これで安心できる」
「そうきへい? エクソシストじゃなくて?」
「確かに政府が決めた呼び方はそれだが、実際に戦場に立つ俺たちはそのまま漢字で読んでいる。ゲン担ぎだそうだ」
実は他にもローカル呼称がある。悪魔のグレードだ。悪魔にはその大きさに準じてグレードが設定されていて、~五メートルをグレード1、~一〇メートルをグレード2、~十五メートルをグレード3、~三〇メートルをグレード4、~五〇メートルをグレード5、五〇メートル以上をグレード6と呼ぶ。だが俺たちはそれを第〇番と呼び変えている。例えばグレード5なら第五番、といったように。
「知らなかった。このコの名前、なんて言うの?」
どうやらレアはこれに興味を持ったようで、目が釘付けになっている。一般人が目にする機会は早々無いし物珍しいのだろう。
マクスウェルの悪魔に唯一対抗することができる手段。それが、このエクシスと呼ばれる武器だ。
神楽石と呼ばれる鉱物からとれる金属・神楽。
展性、延性、熱伝導性、電気伝導性、どれをとっても他の金属には劣り、そのくせ発掘される量もさほど多くはない。他の金属と混ぜたら有用になるどころが悪くなる。中途半端に希少で、中途半端に使えない、そんな金属。
これがマクスウェルの悪魔が出現する前までの評価。
今は、世界で最も必要とされている金属。
悪魔の出現以降、世界中が急ピッチで実体の無いあいつらへの対抗手段を探した。しかしなかなか見つからず、一ヶ月もの間、やつらに好き放題させてしまった。幸いなことにまだ出現数、出現頻度が少なかった時期だったため大混乱は防げた。やつらは一定量の記憶を喰らうと満足したようにどこかへ消えていくのもその一助となった。
しかしこのままだとやがて世界中の人間の記憶がすべて喰い荒らされてしまう。そうなったら事実上の大絶滅が起こる。人々の不安は限界値を超えようとしていた。
そんな中、日本のとある学者が、ついに発見したのだ。
神楽をある条件下で用いると、実体の無いマクスウェルの悪魔に触れる事ができる、ということを。
その条件とは――――血と共に記憶を捧げること。
神楽をよく調べてみたところ、極小の管のようなものが張り巡らされていることが判明。そこにあらゆる液体を流してみたところ、血液を流すと僅かではあるが熱を発することが分かった。
これは怪しいと様々な条件を検証してみたが成果を得られず、絶望した学者は、自らの血液を神楽に吸わせながら、祈ったそうだ。やつらを倒す力が欲しいと。
その瞬間、不思議なことが起こった。信じられないほど強く発光したのだ。
何がなんだか分からず、パニックに陥りそうになっていた時に、神のイタズラか、偶然その場にグレード1・スライム型の悪魔が一体出現した。
その時学者は何を思ったのか、槍状の神楽を悪魔に向かって突き出したのだ。
すり抜けるかと思われたそれはしかし、悪魔を深く貫いた。次の瞬間、悪魔は消滅。
悪魔を殺す武器、エクシスの誕生だ。
周りにいた研究チームのメンバーはその歴史的発見に狂喜乱舞した。だが当の本人たる学者はぽけーと呆けるばかり。どうしました、と聞くと、学者はこう答えたそうだ。
「ぼくは今、何をしていたのか?」、と。
なぜ俺がこんなにエクシス誕生秘話に詳しいのか。それは置いておくとして。
一般人にはこのエクシスは記憶を吸い取る恐ろしいもの、というイメージがついているらしく、見たがらないし触りたがらない。おそらくレアもそういうイメージを持っているのだろう。つけるやつもいるが、俺はつけていない。
「そう。階級は?」
「熾天使だ」
「セラフィム……」
顔には出ていないが、余韻を残すように呟いたところを見るに驚いているのだろう。
エクシスには、悪魔を倒す存在、つまり天使にちなんだ階級が付けられている。セラフィムは六つの階級の中の最上級。決して多いとは言えない神楽石の中から厳選された質の高い神楽を用いたエクシス。そこらのものとは段違いの性能だが、その分もっていかれる記憶も多い。
「こいつには俺のすべての記憶を与えてやるつもりだ。その代わり力を貸してもらって悪魔どもを纖滅する」
「なぜあなたはそこまで悪魔を倒すことに固執するの?」
「理由なんて無い。ただ、そうしなきゃならないっていう使命のようなものが俺を突き動かしてるんだ。悪魔を倒して世界を救え、って。この欲求の元となった出来事があったかもしれないが、そうだとしたらその記憶は消えている。戦いの中で」
こんな事を人に話すのははじめてかもしれない。呆れられるだろうか。
「そうなの」
だがそんな心配は何のその。サラリとそう返されてしまった。
人形のような瞳でこちらを見返すレアが、さらに言葉を続けようとするかのように口を開きかけたところで。
くぅ~~~~、と、かわいらしい腹ぺこ音が部屋に響いた。
当然のごとく気まずい雰囲気が流れる。レアにとっても不測の事態だっただろうにここまで表情を崩さないのは流石というべきか。いや、よく見ると丈の長い白いスカートの端をちょこんとつまみながら微かに震えている……?
「タクト。早く朝食にしましょう。生活リズムが狂うのは良くない事」
レアはクルッとターンしてそそくさと部屋から出ていった。結局何事も無かったかのように締められてしまった。レアが何を言おうとしていたか気になるが、ひとまず朝食の用意をしないとな。
俺は寝間着から普段着のシャツとジーンズに着替えてキッチンに向かうのだった。




