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庭のベンチ

 一〇月三〇日。計画の前日であり、護衛任務最終日。

 俺たちはいつも通りに同じ時間に起き、同じ時間に朝食を食べた。

 アリアからいつ頃連絡が来るのか聞いてなかったから、準備に入るタイミングが分からない。早めの方がいいだろうか。

 朝食後のチェスが終わり、のんびり紅茶を飲んでいるレアに声をかける。


「レア、いつ頃アリアから電話があるか分からないし、今から泊まりの準備をしておこう」

「泊まり?」


 小首を傾げるレア。

 てっきり計画実行前日にアリアの研究所に泊まる事は最初から決まっているものだとばかり思っていたが、どうやらアリアの勝手な判断によるものだな。大方政府の許可も取っていない状態で泊まりにくるよう俺に伝えたのだろう。


「そうだ。たった今確定命令じゃなくなったが、アリアの事だから許可をもぎとってくるだろう。今日はアリアの研究所に泊まりだ」

「……お泊まり」

「そうだ」

「準備、する」

「ああ。俺もしてくる。この屋敷から出ていく準備も一緒にしないと」

「わたしもここに戻ってこられるか分からない。から、ちゃんと荷物、まとめる」

「……そうだな」


 レアは明日をもって、同じ年頃の人と比べるとあまりに少ない記憶、そのほとんどすべてを失う。最悪の場合、回帰園に行く可能性だってあるのだ。

 政府に荷物の預かりを申請すると、人並みの生活ができるようになった頃、つまりは「今」の自分では無い、別人レベルになった「未来」の自分への贈り物をする事ができる。手続きをすれば政府が任意のタイミングで渡す事になっているのだ。今はほとんど見かけない、タイムカプセルみたいなもの。


 アリアは一応政府の人間のため、俺とレアの荷物はアリアに直接渡す事になっている。知っている人間だから安心だ。

 二人して二階の自室の引っ込み、小一時間ほど荷物をまとめる。

 俺の荷物は来た時と同じく、カバン一つにおさまるくらいだ。必要最低限の着替え、洗面道具、今までの人生の記録帳、そして、一缶だけ残っている超絶微糖缶コーヒー。


 戦闘服とエクシスは装備済み。

 小一時間ほどかかってしまったのは、部屋にあった本をついつい読み込んでしまったから。何か本を持っていこうとしたが、やめた。元々この屋敷の備品で俺のものじゃないからだ。小説やチェス関連の本が欲しくなったら自分で買うとしよう。


 部屋にあった本をすべて図書室に戻してリビングへ行くと、そこではすでに準備を終えたレアがソファに座っていた。

 ソファの後ろには白い小さなトランクが一つだけ。俺と同じく最低限のものしか持っていかないんだろうな。


「もういいのか?」

「うん。タクトは?」

「今終わったところだ」

「そう。後は連絡を待つだけね」


 俺もカバンをソファの後ろに置き、レアの横に腰を降ろす。

 入り口からはソファの手すりが邪魔で見えなかったものが、ちらっと見えた。

 鉢だ。片手で持てるくらいの小さな鉢を、両手で後生大事に抱えている。

 その鉢の中で咲いているのは、黄色いパンジー。

 俺とレアが育てた花だ。


「そいつも連れていくのか?」


 そいつ、だけで俺が何を指しているのか理解したのだろう。「もちろん」という言葉が即座に返ってきた。


「なんでその黄色いのだけ選んだんだ?」

「……このコが花壇の中で一番小さかったから。他のコたちはわたしがいなくても生きていける。だけどこのコは誰かが面倒を見てあげなくちゃいけないの」

「……アリアに頼もう。あいつならなんだかんだ言って世話してくれるはずだ」

「だといいな」


 というか世話を承諾しないとアリアの秘密をバラすと脅してやる。あいつの秘密なんて特に握ってるわけじゃないし、そもそもそういうの気にしないやつだし意味はないかもだけど。


 それから会話らしい会話は無く、一〇分、二〇分と時間が過ぎていく。

 もう明日でレアとはお別れだ。話したり遊んだりできるのは実質今日だけ。

 ……だからどうしたというのだ。質の良い記憶の蓄積は大事だが、それはあくまで任務で私情を挟んではならない。

 待て。俺の『私情』って、何だ? 俺はレアにどんな想いを抱いている?

 沈黙の時間が長いせいで余計な事ばかり考えてしまう。

 気分転換のためコーヒーでも飲もうと席を立った時、タイミング良く電話が鳴る。まさか監視カメラを見ながらちょうど良い瞬間を見計らってかけてきているわけじゃないだろうな。

 立ち上がってそのままリビングを出て受話器をとる。


「朝日タクトがとった」

「朝日アリアがとった」

「お前がかけてきたんだろうが」

「お前がかけてきたんだろうが」

「……これ以上続けたら切るぞ」

「めんごめんごー。いやー楽しいよねオウム返しして相手イラつかせるの」

「お前がひねくれてるのはよく分かった。用件は? もうそっちに行けばいいのか?」

「そそ。レアちゃんと一緒においでー。送迎用のタクシーが三〇分後くらいにそっちに着くはずだからそれに乗ってね。しっかり護衛するように」

「了解した。注意事項等は?」

「特に無いね。んじゃのちほどー」


 電話自体はすぐに終わったが疲れた。アリアはもう少し落ち着きというものを持って欲しい。

 リビングに戻り、なぜかコーヒーを準備していたレアに声をかける。


「レア、三〇分後くらいにタクシーが着くらしい」

「そう」

「そのコーヒーは?」

「タクトが飲みたそうにしてたから」


 よく分かったな。洞察力が優れている。良い探偵になりそうだ。


「その通りだ。じゃあ一杯もらおうかな」

「うん」


 レアは紅茶だけでなくコーヒーを淹れるのも上手い。

 そうだ。最後だしどうせだったら。


「レア、庭のベンチで飲まないか?」

「そうする」


 この屋敷で茶を飲むのも今日で終わり。今までレアと多くの時間を過ごしてきた庭で飲んでおきたいと、思ってしまった。

 いつものように絶妙な距離を保ちながら一つのベンチに腰掛け、カップに口をつける。


「相変わらず美味しいよ。最後に飲めて良かった」

「うん」


 レアは庭の花壇を眺めながら静かにそう答えた。

 白い服を着て、白い髪を風に少しだけ遊ばせながら、白いベンチに座っているレアは、絵になる。

 細部は違えど色あせず、変わらぬ雰囲気を持ち続けるこの絵画も、見納めだ。

 何度もこの絵に見入ってきたのだ。これから記憶が失われ続けても、一つくらいは残ってくれるのではないか、と淡い期待を抱いてしまう。


 俺とレアはすぐコーヒーを飲み終わり、ベンチ前に移動させておいた白い丸テーブルにカップを置き、タクシーが着くまでの間、庭を見つめ続けた。

 花壇に残されたパンジーたちが強い横風に揺られ、皆一斉に左に傾く。

 俺もその突風に、目を細める。

 ぽすん、と、何かが俺の太股に着地する音が聞こえた。


「……レア?」

「なに?」

「なぜこのような行動を?」

「風で倒れた」

「いやいや、人間の身体がさっき程度の突風で倒れるなんてそんな事」

「風で倒れた」

「…………」


 そう言い張るならもうこれ以上追求はすまい。

 久しぶりだ。レアの奇行。

 前もあったな。俺がレアに膝枕するの。今のレアは覚えてないはず。

 そのまま俺たちは何か話すこともなく、何をするでもなく、タクシーが到着するまでただただ庭を眺め続けた。

 

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