いたちごっこ
この屋敷に来て四週間目。八月の終わり頃。
先週は悪魔討伐任務にかり出されるというイレギュラーが発生したが、あんな事は早々起こらないはず。今週は穏やかに過ごせるだろう。
未だこの屋敷に悪魔は現れていない。二人しかいない上に統計結果からこの辺りに現れる確率は低いと分かっているが、現れる可能性はゼロじゃない。もし現れたらすぐ対応できるようエクシスは常に携帯しておかないと。
昼下がり。レアがいつの間にか取り寄せていたラムネを飲みながら、日向ぼっこをする。
レアのサラサラとした真っ白い髪が風でなびいて俺の顔をくすぐりそうになる。
麦わら帽子でも被せたらまさに夏って感じだな。
そんな事を思いながら端正な横顔を見ていたら、不意にレアが話しはじめた。
「失われた記憶って、どこにいくのかな」
「それは、悪魔に喰われた記憶か、エクシスに捧げられた記憶のどっちだ?」
「両方。タクトはどう思う?」
言われてみれば気になるな。今まで考えもしなかった。
「悪魔については分かっている事よりも分かっていない事の方が圧倒的に多い。どのように生まれたのかも、何を目的として動いているのかも。だからすべて俺の推測、戦闘の中で感じた事でしかないが……。やつらは記憶を求めているのに、手に入れた記憶には頓着していない、ように感じる。食欲を満たすものならなんでもいい、みたいな。だからきっと喰われた記憶はやつらの中に姿を変えずに残り続けているんじゃないか、と思う」
俺は今まで何度も悪魔と対峙してきた。人を襲うところも目にしてきた。どのシーンでもやつらは無差別で、獲物の選り好みをしていなかった。より多くの記憶を持っているであろう老人も、ほとんど記憶を持っていない赤ん坊も関係なく襲っていた。
俺は、あいつらがただの飢えた獣のように見える。
「なら、マクスウェルの悪魔から記憶を取り戻してかつての持ち主に返す事はできると思う?」
「それは難しいんじゃないかな。昔、悪魔を専門に研究している人に聞いたんだが、特殊な機器で特異周波を観測した結果、悪魔が想起兵によって倒される時にその存在は完全に消失しているらしい」
「そう。じゃあ、倒されない限り、奪われた記憶は悪魔の中で生き続けるのね」
「あくまで推測だけど、そういう事になるな」
もしそうだとしたら、俺たち想起兵は奪われた記憶に終止符を打つ存在という事になる。
記憶を完全にこの世から消す。それは果たして良い事なのだろうか。
「なんで記憶なんて欲しがるんだろうね。不思議だね」
「そうだな。あいつらが言葉を話せるなら聞いてみたいよ」
実はアリアの研究項目の一つに悪魔との意志疎通がある。成功事例が無いどころかやつらに自我があることさえ分かっていないそうだ。先は長いが、研究を続ければあいつらが何を考えているか分かるようになるかもしれない。
会話がひと段落し、しばしの沈黙が訪れる。
この手の話題には事欠かない。俺もレアも、そしてこの世界の人間すべてが、マクスウェルの悪魔によって人生が変わったのだから。
もし想起兵になっていなかったら俺はどうなってただろう。
多くの記憶を失いながら生きてきた一六歳の俺と、記憶を失う事なく増やし続けて生きた一六歳の俺とじゃきっと考え方や生き方が大きく異なるはずだ。
記憶はその人間を構成する大事なピース。
では、ほとんどの記憶を失った者は、以前とはまるで異なる人格になってしまうのか。
だとしたら、記憶を失う前の俺と今の俺とじゃ大きな解離が生まれているはずだ。
過去の俺はどんな人間だったのだろう。今となっては、それを知る術はない。
レアもきっとそうだ。過去のレアはどんな人間だったのだろう。大人しかったのか、それとも天真爛漫だったのか。元気溌剌なレアとか想像できないな。
そんな益体のない事を延々と考え続けていたせいか、太ももの上に飛来したものに全く対応できなかった。
ふわっと香る洗剤の香り。
「おい、何やってるんだ」
「タクトのひざをまくらにした。通称ひざまくら」
「それくらい見れば分かる。なぜいきなりこんな事をしたのかと聞いてるんだ」
「だってわたし、前、してあげた」
「ぐ、それを言われると痛いな」
寝ている間に自然になっていたとはいえ、膝枕をしてもらったという事実は変わらない。拒絶するわけにもいかないだろう。
仰向けになってるものだからレアの蒼い瞳と目が合ってきまずい。前を向いておこう。にしてもレアの頭、軽いな。記憶が失われると脳の重さも減る、なんて事ではなく多分顔が小さいせいだ。
レアは俺の膝の上で何回か寝返りをうった後、腰に帯びていた俺のエクシスに触れた。
「レア、待て」
「分かってる。ちょっとだけ」
手順を踏まなければ記憶を捧げられない、力が発揮できないとはいえ、一般人にエクシスを触らせるのは控えるべきだ。レアなら知識が豊富でその辺りの事は心得てるから大丈夫かもしれないが抵抗はある。
「さっきの話の続き。次はエクシスに捧げられた記憶はどこへ行くのか、だったよな」
「そう。エクシスに捧げられて失われた記憶」
「単純に考えれば、捧げた記憶が能力の発現、つまりは力に変換されているって事なんだろうけど」
「力を使う時に血も捧げるのよね」
「ああ。まず自分の血を染み込ませないとダメだ」
「他人の血じゃいけないの?」
「そうらしい。聞いた話だと記憶を捧げ、力を得ようとした本人の血じゃないと記憶を捧げられないし能力も得られなかったそうだ」
「不可解な金属。こんな得体の知れないものに頼るしかないなんて」
深く考えた事は無かったが、確かにこの『神楽』という金属は不明な点が多い。新技術等に関して日本は安全性が確かめられるまで何度も実験、検証し、長い時間をかけやっと実用化するのだが、そんな悠長な事をしてられる余裕などどこにも無かった。
「そうだな。でも、これが、これだけが人類に残された最後の希望なんだ。代償が大きかろうがエクシスに頼るしかないんだよ」
「……記憶を喰らう実体のない悪魔。その悪魔に触れるために記憶を代償にしなければならない。それってまるで」
いたちごっこみたいだよね。
小さな声で聞き取り辛かったが、そう言ったような気がした。
いたちごっこ、か。大本を断ち切るためには、どうすればいいんだろうな。
かまいたちという異名を付けられている俺がいたちごっことは。どうやら俺はいたちに縁があるようだ。




