昔話をしようか
やっと2回目です。どうやら読んでくださった方がいらっしゃるようで、感謝申し上げます。
もうしばらくお付き合いください。
さて今日の記録だな
3月30日 金曜日
お袋を病院に連れて行った。
心電図と胸部レントゲン「特に変化ありません。」
診察後お袋とスーパーへ
今日は自分の金を使っていない。
現金23,164円
これで良し。
アイツの手帳はここんとこ更新されてないけど。
正直アイツがこの記録を見て何かの役に立ててるのかどうか、はっきりしねえが。
あんまりデカい揉め事にはなってないから構わないんだろう。
基本的にはアイツのほうが問題処理能力が高いみたいだしな。
言ってて嫌になるけど。
銀行を休職してた頃は、とにかく自分が自分じゃないみたいで
なんかフワフワした記憶しかないんだ。
あの頃のことを知ってる「兄貴」(言っとくけど俺は長男だ。)が言うことにゃ、
「俺が知り合った頃のお前は、とにかく変な奴だった。色んな飲み屋で会っても馴れ馴れしかったり、
知らんぷりしてたり、服装も話し方もバラバラだったしな。俺も誰かと、「ひと間違い」してるんじゃないかと思ったくらいさ。」だそうだが。
まあ、やることがないうえに離婚して一人暮らしだから、毎日毎日ふらふら飲み歩いていたんだよ。
2か月経って本店の人事部に顔出したんだが、その時には「どうです?復帰できそうですか?」なんて言われても、そんな気持ちは残っちゃいなかったな。まあ、向こうも期待はしちゃぁいなかったろうぜ。ニヤニヤした顔で見てやがったからな。さっさと退職届書いたっけ。
「兄貴」の紹介でもぐりこんだのは、自動車会社の2次下請けで従業員が10人ぱかしのちんけな会社だった。創業者の社長(近所のスナックの常連で「兄貴」とマブダチだった)は月末の給料日にしか来ないし、役員連中は社長の親戚で決まったお客のところから決まった仕事を相手の言いなりの単価で受注するだけだった。最初は雑用みたいなことをやらされてたんだが、そのうちお客の都合で受発注用のコンピューターを導入することになり、「お前は大卒なんだから。」ってんで、そっちを一手に任されるようになったんだ。
うちの会社はいわゆる金属部品加工をやってたんだが、そいつを製造する機械もだんだんNC化されてって、現場の職人じゃ手に負えなくなってくる。また「お前は大卒なんだから。」がでて、そっちも徐々にメーカー研修に行かされたりしてさ。まあちっせー会社じゃしょうがねえよな。何でも屋さ。トラック転がして週に2000キロ以上納品や仕入れに走り回ったり、そのうち年寄りの役員から営業の真似事を押し付けられたり。そうそう。うちの部品は大部分が表面処理が必要なんだが、納期が間に合わねーってんで土日に夜中まで京浜島のメッキ工場で手伝わされたこともあったな。
大学出て(一応早稲田だ(笑))ネクタイ絞めて銀行員やってた時は「現場仕事なんかやりたくねえ」って思ってたけど。
そうやって10年も町工場で働いて、毎日毎日汗くせー作業服着てると、「ああ、俺ってこっちのほうが向いてるわ。」なんて思ってたもんよ。たまには社長と例のスナックに飲みに行ったりしてな。そう言えば「カズキ」ちゃんていう色っぽいチーママと知り合ったのも、その店だ。いっときはイイ感じかなぁなんて思ったんだが。急に辞めちゃったんだよな。あとからママに「あんたのせいでしょ!」って言われたことがあるけど、なんのいいがかりだ!
そんなこんなで町工場勤めも10年目くらいまでは、特にトラブルもなく変なことも起こらないまま過ぎていったんだが。
社長に呼ばれて弁天様の近所の焼き鳥屋で切り出されたんだよ。「今度平林(社長の女房の弟で専務さんだ。)が辞めることになった。なんでも大腸がんらしい。で役員は一階級昇格させるんだが、お前部長をやってくれないか?まあ平林がやってたM金属(財閥系のお客さん)の担当ってことだな。」だって、俺は納品だったり、生産計画だったり手ぇ一杯だもん、無理っしょ?「いや、そこんとこは泉水でも小林でもお前の下につけるから、何とかなるだろ?」そうかなぁ?大体泉水さんや小林さんが俺の言うこと聞きます?みんな仕事抱えてるし、、とにかく人を入れてもらわなきゃ。「う~ん。やっぱり新人入れなきゃダメか?」絶対お願いします。あと平林さんといつでも連絡取れるようにお願いしますね。あのひと、まともな引継ぎ文書なんて書きそうもないし。「わかったわかった。じゃぁとにかく頼むぞ」はぁ。
てなことで部長さんになったわけだが、今になってみればあれが「アイツ」とおれが、こんな感じの「ふたりでひとり(藤○不○雄かよ)」になっちまったきっかけだわなぁ。
評価までくださった方には感謝してもしきれません。できましたらこれからもよろしくです。