暗殺少女 2
兄妹はいいものです、見ているだけで心温まります。そんな感じの兄妹を目指したかった暗殺少女第二話です。
閑静な住宅街に杏珠の姿はあった。
彼女の目は真っ直ぐに目の前に建つ一際大きな家の表札を捉えていた。
表札には十文字圭太、玲子、翼、そして、杏珠の名前が書かれていた。
「おい、俺の家に何か用か?」
その言葉が自分に掛けられているものだと気づき、杏珠は振り向く。
そして、お互いに信じられないものを見るような目で、あいての姿をその瞳に映し出した。
「杏珠…ちゃん……?」
「つ、翼さん? 何故ここに?」
「え、あ、いや、ここ、俺の家で……」
「あ、そ、そうなんですか」
二人の間を、気まずい空気が流れる。その空気を切り裂いたのは杏珠だった。
「あ、あの、私、実は……」
「八年前、誘拐されたまま消息不明の十文字杏珠」
杏珠に代わって彼女の言葉の続きを紡いだのは翼の方だった。杏珠は信じられないとでも言いたげな目で翼を見た。
「知っていたんですか……」
「…確信は無かったけれど、初めて会った時から」
務めて冷静に答える翼に、杏珠は何も言わなかった。
「帰って、来たんだよな……?」
翼が恐る恐る尋ねると、杏珠は無言でこくんと頷いた。
それを見た翼は、ようやく安堵の表情を浮かべた。
「じゃぁ……、おかえり。だな」
「あ、えっと、ただいま……」
「杏珠、本当に良かったわ……」
十文字家に入れられた杏珠は母親――玲子とテーブル越しに対面していた。
母親である玲子は両目に涙を浮かべているが、杏珠は無表情のままだった。
「これからは家族四人で暮らせるわね」
杏珠は少しだけ頷いてそうですね、と答えたが苦虫を潰したような気分だった。
彼女の中にある十文字家に関する記憶は殆ど残っていない。
あるとすれば八年前、五歳の自分を捨てたという記憶だけだ。
八年前、当時五歳だった杏珠と十歳だった翼は近所の公園に二人で遊びに行き、いつものようにかくれんぼをしていた。
鬼の翼は木の幹の方を向いて三十数える。
杏珠は隠れるのが上手く、翼はいつも苦戦を強いられていた。
その杏珠は、今日は公園の中の一際大きな木の中に隠れていた。
いつもなら一時間もすれば翼が降参して杏珠が顔を出すのだが、今日の翼は中々降参しなかった。
最初は、今日は頑張るんだな。その程度だったが、それは次第に不安へと塗り替えられていった。
二時間後、とうとう翼は五時になっても降参を宣言しなかった。
不安に駆られた杏珠は木から降りて翼を探し始めたが、そこまで広さの無い公園にはただ一人、杏珠しかいなかった。
どうしようもなくなって泣き出してしまった杏珠に一人の老人が声をかけた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい」
「お兄ちゃんがいないの……」
涙声でそれだけ言った杏珠に男性は目線を合わせた。
「そうか……。実は私は君のご両親と少しばかり縁があってね、
聞いてしまったんだ。君を捨てるという話をね」
「え……」
男性は辛そうに目を伏せて、杏珠はいらない子だから家族に捨てられた。
兄はその手伝いをするためにかくれんぼに誘ったのだと話した。
普通なら一度疑って真偽を確かめるような話だが、当時まだ幼かった杏珠は名も知らない男性の話を鵜呑みにし、さらに泣きじゃくった。
「大丈夫だよ、これからは私が君の保護者になろう」
そして老人は杏珠の手を引いて車に乗り込み、老人の家へと連れていった。
この老人こそが、今の杏珠の養父である久留里宮人だった。
そして、杏珠は十文字杏珠から久留里杏珠になったのだった。
母親との対面を終えた後、杏珠はかつて自室だった部屋に案内された。
部屋はあの時と何も変わっていなかった。ぬいぐるみや写真、ベッドも含めて、全てあの時から時間が止まってしまっていたようだった。
「杏珠がいつ帰ってきても良いようにそのままにしていたの。もちろん掃除はちゃんとやってあるから心配しなくていいわよ」
母の言葉を聞きながら、杏珠は無言で部屋を見つめていた。
「それじゃ、ゆっくりしていてね。ご飯になったら呼びに行くわ」
玲子はそう言って部屋を出た。
母親が部屋を出て行った後、杏珠はベッドに倒れこんだ。
確かにこれは自分がずっと待ち望んでいた時だ。そこには兄も例外なく含まれている。でも、まさかその兄が翼だとは夢にも思っていなかった。
「なんで、貴方なの……」
杏珠が呟くと同時に、ポケットに入れている携帯が震えた。
「…もしもし」
「あ、御嬢。どう?」
電話の相手は翔だった。杏珠は報告を怠ったことに今更気付き、謝罪の言葉を述べた後に報告を始めた。
「今私の部屋。大丈夫、誰もいないし疑っていないみたい」
「さっすが御嬢。とりあえず今日はゆっくりして、明日」
「ん、わかってる。……ねぇ翔さん」
杏珠は震える唇で言葉を続けた。
「翔さんは、知っていたの?」
あえて何を、とは言わなかった。彼が何のことかと尋ねてきたらそこで話を終わらせるつもりでいたからだ。
「知っていたとして、じゃあ御嬢はどうした?」
「……やっぱりみんな私に何も教えてくれないんだなぁって思うだけ」
少し声のトーンを暗くしてそう言った後、すぐにいつもの調子でごめん、忘れて。とだけ言って電話を切った。
電話を切られた翔は、ふと、あの時のことを思い出していた。
翔が杏珠と初めて会ったのは、杏珠が戸籍を久留主に変更して間もなくの頃だった。
宮人に呼ばれ部屋に入ると、彼の隣に初めて見る少女の姿があった。少女は宮人にぴったりと引っ付いていた。
この時はまだ、ちょっと育ちの良い普通の少女程度にしか思っていなかったが、宮人に言われた言葉に翔は驚いた。
「この子を一流の暗殺者に育て上げろ」
「は……? いや、あの、えっ!?」
「この子は今後我々の活動に大きく貢献するだろう」
「で、でもこんな子が暗殺者なんかになれるんスか?」
翔が尋ねると、宮人は一拍置いて口を開いた。
「この子の元の名は十文字杏珠。Blood Crossの取締役にして暗殺者として世界に名を轟かせた十文字悟、玲子夫妻の娘だ」
Blood Cross。
その名は翔でも知っていた。
闇社会の一つ、暗殺を仕事とする社会にも有名な会社はいくつか有るが、その中でも二本指に入る会社があった。
久留里宮人の率いる伐、そして、十文字悟率いるBlood Cross。 両社は常に対立しており、いつ社長が殺されてもおかしくない関係だった。
では、何故敵の社長の娘がここに? 翔はそのことが気になって仕方なかった。
「一ノ宮、余計な詮索はするな」
「……はい」
翔が尋ねようとしたが、先に宮人にくぎを打たれてしまったためしぶしぶ諦めた。
「さ、杏珠。彼が今日からお前の先生だ」
「御爺様は?」
「いつでも会える」
(なんだよこの祖父さんは。ただの孫バカじゃねぇか)
宮人の甘やかしっぷりにさすがに呆れたが、気を取り直して杏珠と目線を合わせた。
「はじめまして。俺は一ノ宮翔」
「じゅ……久留里杏珠です」
杏珠は警戒しながらも自己紹介をした。
「このマニュアルに従って進めろ」
そう言って差し出された封筒を受け取った翔は中から冊子を取り出し、ぱらぱらと内容を確認した。
緻密に練られた訓練メニュー、朝起きてから夜寝るまでの管理されたスケジュール。
そして。
「社長……これは」
翔の目がある項目で止まった。
翔が異議を唱えようとしたが、宮人の目がそれを許さなかったため、彼は口をつぐみ、ため息をつきながらマニュアルを封筒に戻した後、杏珠の手を引いて部屋を出た。
あれから八年の月日が流れた。
杏珠の育成はマニュアル通りに進められ、宮人の期待以上の成長を遂げた。
翔が異議を唱えたものも完成し、今では会社トップの実力を持っている。
そんな彼女に施された『教育』。 社長であり、養父である久留里宮人への絶対的な忠誠心と異常なまでの崇拝心、そして、家族への復讐。
これらが、杏珠の能力を飛躍的に進化させていたのだが、それ以外にもう一つ理由があったが、それに気付いているものは誰一人いなかった。
「杏珠、入っていいか?」
ノックと共に翼の声がして、杏珠は我に返った。
杏珠は一瞬困惑したが、どうぞ、と言って入室を許可した。
翼は少し遠慮がちに部屋に入ってきた。杏珠は気まずさに負け、窓の方へと目をやって翼と目線を合わせようとしなかった。
「……何か用ですか」
長い沈黙に耐え切れなくなった杏珠が用件を言うように促すと、翼はようやく口を開いた。
「今までどこで暮らしていたんだ?」
「…とある施設でお世話になっていました」
杏珠のそっけない返答に戸惑いながらも、翼は懸命に会話を続けようとする。
あの日の公園での気兼ねなさは今この瞬間には微塵もなかった。
「どうして今まで帰って来なかったんだ?」
「どうして、ですって?」
杏珠の明らかに恨みのこもった言葉に翼は少なからず戦慄した。
それは、翼の知っている杏珠ではありえない、まるで杏珠の姿に別の人格を宿した誰かの様だった。いや、まるでと言うのは間違いだろう。翼の目の前にいる少女は彼の知っている十文字杏珠では無いと言い切れることを翼は直感的に感じ取った。
「もう私に関わらないでください。私は……」
杏珠は何かを口籠ったが、翼がすべてを聞き終える前に部屋を追い出されてしまった。
部屋を追い出された翼は杏珠の部屋の扉をじっと見つめた。一体、この七年間の間に杏珠に何かあったのか。何が、誰が杏珠を変えてしまったのか……。そればかりを考えながら、翼は重い足取りで自室に戻っていった。
夕食時になり、玲子や翼が杏珠を呼んだが、食欲が無いと夕食への参加を断ったため、仕方なくいつも通り二人で食事を始めた。
「なぁ母さん」
食事が始まって、翼は口を開いた。母親は目線を合わせることなく話を促した。
「杏珠が帰ってきて、嬉しい?」
「えぇ。勿論よ。愛しい娘が帰ってきたんだもの」
一瞬の耳鳴りに翼は顔を顰めたが、軽く頭を振ってそれを払う。 耳鳴りの原因は本人が嫌というほど理解している。
「そっか」
「あら、安心して。ちゃんと貴方の事も愛してるわよ」
再び襲い来る耳鳴り。
翼は箸を置いて席を立った。
「もういいの?」
「……腹減ってないんだ」
翼は母親に向かって笑って見せて自室に戻った。