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降り注ぐ  作者: 袖下
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雨雲

母方の従兄弟である恭介を前にすると、伊織はいつも萎縮してしまっていた。

恭介の母早織と、伊織の母香織の姉妹は、伊織が産まれる以前から互いの家を行き来する程に仲が良く、それは現在に至るまで続いている。

言い換えれば伊織が物心ついた頃から恭介は傍にいた。



小さな伊織を恭介は構いたがった。七つ離れた兄として手を引いてくれた事もあった。親しみは感じていた。しかし伊織は心のどこか奥底で、太陽の下健康且つ真っ直ぐに育っていく恭介を羨んだ。恭介も幼いながらにそれを感じとったのか、少しずつ家に篭もりがちな伊織と距離を置き始めた。親同士はさぞ心配しただろうが、一度付いた距離感が縮まることも無く伊織が八歳の時、両親の仕事の都合上での転居が決まった。




家財道具の運び出しや荷物の整理が終わった頃、恭介が叔母と共に姿を見せた。

十五歳の割にかなり上背があり、いつ父さんを追い越すのかしらね、と叔母が笑っていたのを覚えている。

談笑する両親のすぐ傍で、伊織達は気まずく相変わらずの沈黙を続けた。ふとこちらを見た恭介の目が細められていた。そこで自分は嫌われてしまったのだと、初めて心から自覚した。

強く頭を打ったような感覚が身体を走った。兄の背後の庭に咲いた桔梗がやたらと青く冷たく見え、自分の息の音が耳に響いた。そこで伊織の小さい頃の記憶は途切れている。



あれから何度か母を訪ねてやって来る叔母に付き添い恭介が伊織宅に上がる事もあったが、母親同士申し合わせたのかどの日も伊織の不在時を選んであり恭介の事は伝え聞くまでだった。

勝手に負い目を感じ、手を差し出す恭介に自分から離れてしまった事への申し訳なさの様なものだけが、伊織の中に残り続けた。








冷たい、ひんやりとした何かが額に触れている。目を開き確認しかけたが、身体が鉛の様に重く、瞼もそれ程動かせず叶わなかった。そのまま意識がまた落ちてゆき、はっきりと目が覚める頃には仕事から戻ったのであろうスーツ姿の浩介が伊織の横たわるベッドの隣に椅子を置き座っていた。


「...父さん」


自分でも驚く程の掠れた声だった。声に反応した浩介が安堵の表情を浮かべ伊織の額に手を当てた。


「お前、学校早退してからなんで連絡しなかった」


責める口調ではなく、労りや心配を感じさせる声音で目を細める。


「別に...そんな、に急ぐことで、も、」

「あぁ、いい。そのままにしてろ」


口が上手く回らず、喉の乾きで声にならない伊織を手で制してから水の入ったコップを差し出された。

起きられるかという問いには答えず、ぎしぎしと軋む身体を起こす。


「恭介君が帰ってから丸二日は寝てたな」

「...そんなに」

「返事はいい。飲んでおけ」



「お前が家で倒れたって連絡が入って驚いたよ。遠方から恭介君が来ていたし、二重でだな。後で俺が連絡した母さんは慌てるし逆に俺の連絡が遅いとどやされるしな」


くつくつと喉で笑う。


「ごめん...」


水を喉に流すだけで声は戻りつつあった。浩介がにやりと笑い、伊織の髪を撫でる。


「気にするな。この季節まで保てたのは大したんもんだ」

そして学校側に一週間の休学を伝えておいたからと流れのままに話され、伊織は愕然として口を開きかけたが浩介の目がその先を許さなかった。


「もう寝ろ」


ゆっくりと片手で寝かせ、静かに部屋を出て行く。夜にかけて止んだのか、雨音はいつの間にか家中からも消えていた。どうにもならない気持ちがどうにも出来ない現状を前に行き場を失くし、渦巻いている。

何が起きたか整理しようとする頭が動かない。

気を紛らわす雨音さえ聞こえない静けさの中、自分に触れていた冷たい何かと、朧気に覚えている幼い兄を思い出しながら泥のように絡みつく意識の底へと落ちていった。

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