09:吸血鬼の愛情
流血注意です。
会議から、そしてラナが吸血鬼に狙われてから二週間が経過した。
その間ずっと本部にとどまっていたラナだったが、もともと自宅には着替えと眠るためだけに帰っていたようなものなので特に不便を感じることなく通常業務を行っていた。
(ギリアムが私の部屋にいるのは今に始まったことじゃないしね)
護衛と監視のためか、ギリアムはこの頃現場に出ることなく、常に後方業務をラナの部屋で行っていた。
しかしもう二週間である。たかが二週間、されど二週間。
一切の外出を禁止されているわけではなかったが、それでも息苦しい。
「というわけでそろそろ家に帰りたいんだけど」
クラークが隊長室ではなく、第三部隊の執務室にいるタイミングでそうお願いしてみる。
周りの団員たちは「危険です!」「吸血鬼がつかまるまでは……!」と反対意見を述べていたが、
「いーんじゃないっすか。先輩の一件以降、被害者一人もでてねぇんだから」
というギリアムの声に団員たちは黙る。この男はこの隊の中で一番若いというのに、意外にも発言権が強い。序列二位というのは伊達じゃないらしい。
そして序列一位の隊長クラークからも、
「護衛・監視付きで良けりゃ今日から帰ってええよ」
と言われてしまい、遂に他の団員は何も言えなくなってしまった。
帰宅時の護衛は意外なことにギリアムとクラークは一切参加せず、他の団員が行っていた。
団員たちはそれを不思議に思いながらも、クラークの、俺たちは別ルートから吸血鬼を探るからラナの護衛はそちらでローテーションを組め、という命令に従って動いていた。
数日間そんなことを繰り返していたのだが、一向に吸血鬼が現れる様子はない。
「守りが厳重で、班長のことはもうあきらめたんでしょうかね」
護衛となった一人がラナにそう話しかける。名はアダムと言ったはずだ。ラナはその言葉に「さぁ、どうかしらね」と曖昧に答えながら、足を進める。
そんなつれない態度に肩を落としながらも、もう一人の護衛ことイワンに「お前はどう思う?」と話しかけたのだが、イワンは無言で前を向くばかりだった。
(あれ、こんなに大人しかったっけ)
どちらかといえばイワンもアダム同様に騒がしい方だったように思う。流石脳筋ね、と変な感動を覚えながら彼らと共に帰路を共にしたのは一度ではあなかった。
アダムも同様にイワンの様子を変に思ったようで首をかしげ「腹でもいてぇの?」と尋ねた。
「少し、体調が、悪くて」
その声は本当に苦しそうである。アダムが「なんで早く言わねぇんだよ!」と怒鳴るも、イワンは何も言わない。
ラナはそんな二人の様子を見て、ふむ……と顎に手をかける。そして。
「うちに寄っていく?」
イワンはまたも無言のまま、しかしはっきりと肯いた。
自室の玄関までくると扉を開け、イワンに向かって「どうぞ」と声を掛ける。
―――次の瞬間
「……ッハ!」
鈍い音と共にアダムが倒れた。さっと見る限り鳩尾に一撃くらわされただけで、命までは奪われていない。
「ちょっとがっつきすぎなんじゃない?」
そう告げるラナもすぐに首を押さえられ、床に押し倒される。強く床に打ち付けられ衝撃で息が詰まったが、どうにか抵抗しようと、襲ってきたイワンの腕を掴む。しかし彼は常人離れした筋力でラナの首をぎりぎりと閉めてくるため、どうにもならない。
「い、わん……ッ!!」
名を呼んでも彼は何の反応も示さない。虚ろな目は焦点があっておらず、目の前にラナがいるにも関わらず彼女が見えていない様子である。
(そろそろ来る頃とは思ってたけど、やっぱり催眠してきたか)
まず予想は当たった。しかしここまで早くに動くとは思っていなかった。せめてラナの部屋にきちんと入ってから、襲い掛かってくると思っていたのである。
早々にやられてしまったアダムには申し訳ないが、ラナは一応の予測を立てており、イワンの様子がおかしい時点で彼が吸血鬼の催眠を受けていると考えていた。だから、吸血鬼に対抗するための罠を張っていたラナの部屋に連れ込み、まずはイワンを捕らえ、そのあとで吸血鬼も現れたらそちらを捕らえよう、と考えていた。作戦とも言えないお粗末な考えではあったが、途中までは成功し、一番重要な部分で失敗してしまった。
ぎりぎりと首を絞めてくるイワンの首元が肌蹴たので、素早く確認すると、どうにか吸血鬼に噛まれてはいないようだった。催眠だけならばあとからどうとでも対処できるし、きちんと助けられる。
だから、とりあえずは。
「ガハッ」
のし掛かられていても四肢を押さえつけられていたわけではないので、自由の利く足でイワンの鳩尾を蹴り上げる。反撃は予想していなかったのか、はたまたそんなことを考える頭を持っていかれたのか、イワンは無様に転がった。その方向はラナが仕掛けた罠のある位置だったので、これ幸いと詠唱をはじめようとするも。
「どうぞお入りください」
その声にラナは顔を顰めた。だがすぐに床を一度だけ音を立てて踏みつけ、詠唱を始めた。
(短縮だけど効いてよね……!)
短い詠唱を終えると、イワンの倒れた場所がまばゆい光に包まれ、一つの白い檻が完成した。イワンはその中で気を失っていた。あれは中に捕らわれたものの力を無効化し意識を奪う結界で、できれば吸血鬼に使いたかったものだ。
(あんな簡易結界じゃあ時間稼ぎにしかならないけどさぁ!)
それでもその時間が欲しかった。ラナは、自室に現れた吸血鬼を真っ直ぐに見据えて、唇を噛みしめた。
「気の強い女だ」
何の感情も籠らない声には、流石のラナもぞくりと肩を震わせた。
「まさかわざわざ催眠を使ってまでしてご本人が登場なさるとは思わなかったわ。配下の半吸血鬼はどうなさったの?」
強がるラナの様子にもフンと小さく笑うと、丁寧に答えてくれた。
「あれには荷が重いと思ってな」
「まぁ、私を脅威に感じてくれたの? 嬉しい言葉をありがとう」
「そんなわけがあるか。どうやらそちらには私の術を容易く解いてしまう人間がいたようなのでな。それを警戒して様子を窺っていたが―――どうやらここにはいないようだな。馬鹿なことをしたものだ」
嘲笑を浮かべ、ゆっくりとラナに近寄ってくる。
ラナは吸血鬼に合わせてゆっくりと後退しながら、なるほどなと納得する。ここへ半吸血鬼でなく吸血鬼が現れたのも、クラークを警戒してのことのように思う。吸血鬼であれば最悪クラークに討伐されたとしても、まだ生存率が高いと考えたのではないだろうか。
「ねぇ、聞きたいんだけどどうして魔力を狙うの?」
「教えると思っているのか?」
「私、研究者なの。気になることは調べてしまわないと気が済まなくってさ」
「それで死んでも、調べたいというのか?」
「本望よ」
自分の釣り目がより釣りあがったのが分かった。吸血鬼はその目を見て、足を止めた。
「面白い。お前のような女如き、殺すのは容易い。土産を持たせる時間ぐらいとってやろう」
―――どうせ増援は望めないしな
吸血鬼の言葉に眉を動かす。
「どういうこと」
「言葉のままだ。結界を張らせてもらったのだよ。この部屋に新たに人が入ることはできない。今いるお前の護衛もその様子なので放置しても問題なかろう」
そうきたか、ラナはこぶしを握り締める。
まったく面倒なことをしてくれたものだ。あそこまで自信満々に言い切るということは、結界が破られれば直ぐにそれに気付き、ラナの魔力を吸うつもりなのだろう。それが、可能なのだろう。
ならば早々に聞きたいことを聞いた方がよさそうだ。
「魔力、どうして狙うの?」
吸血鬼が面白そうに頬をあげた。あまり気にしていなかったが、血色は悪いもののなかなか整った顔立ちをしているなと思ってしまった。
ただしラナは勿体ない美形に見慣れていたため、特にその容姿について口をはさむことはなかった。
「力を手に入れるためだよ」
「みたところあなたは十分に力を持っているようだけど」
「私ではない」
その瞳に、初めて暖かさが灯った。しかしこれはラナに向けてではない。
「初めて持った我が子というのは可愛いものでな。力を得たいというあれの手伝いをしてやっているのだよ」
「そう、あなたは、半吸血鬼の父ってわけ」
満足気にうなずく吸血鬼の表情は、確かに父性に溢れていた。
子のために父が夜に魔力を集め、子はその期待に応えようと昼に魔力を集めたということか。何とも泣けてくる感動ストーリーだ。もっともそれは被害者の命が散っていなければの話で、現実には感動の涙ではなく恐怖と怒りの涙が零れるだろう。まったく困ったものだ。
そこで吸血鬼は整った眉を寄せた。
「残念だが女、もう時間が来てしまったようだ」
「……ええ、本当に残念ね」
この場合残念なのは魔力を抜かれるラナであって、魔力を吸い取る吸血鬼ではない。しかしどういうわけか吸血鬼のほうがラナ以上に残念そうな顔をしていた。まったく意味が分からない。
やがて吸血鬼は一気にラナとの距離を詰めてきた。瞬間移動かと疑うような速さである。
吸血鬼はラナの首を押さえ持ち上げると、自分の目をラナのそれにぴったりと合わせた。催眠をかけようとしているのだろう。
「お前はなかなか魔力が多いようだ。もしかしたら死なないかもな。そしたら死ぬまで我が子と共に可愛がってやろう」
イワンとは違い、吸血鬼はラナの首を絞めていなかった。
そのおかげで声を出せる。牙を見せつけるようにニィと笑った吸血鬼に、
「残念だけど、可愛がられるのは貴方のほうよ」
ラナの言葉と共に、ぶちりと何かがちぎれる音が聞こえた。遅れて彼女の顔に生温かい液体がビシャリとかかる。
断面は綺麗なもので、刃とそれから彼の腕が良いことがよく分かった。
首を掴む吸血鬼の力が弱まり、ラナは床に倒れこむ。
「誰もいないんじゃなかったのか」
生首が言葉を発した。
首を落とされたならばできればそこで死んでほしいものだが、吸血鬼というのは不死の存在と言われている。首を落とされたぐらいでは死なない。銀でできたレイピアならまだしも、通常装備でしかないそれでは切り落とすことはできても討伐することはできない、
そしてそのレイピアの持ち主ことギリアムは、ウザったそうに纏ったマントを脱ぎ捨て、
「黙れ」
と怒りのこもった声をあげた。
ラナはそんなギリアムの様子には何も声をかけず、吸血鬼の首に視線を向ける。
「それに関しては後で教えてあげるわ」
ラナは、ギリアムがレイピアとは別に持ってきてくれた大剣を受け取ると、顔にかかった吸血鬼の返り血を気にすることなく、受け取ったそれを吸血鬼の肉体を突き刺し詠唱を唱え始める。
それをみて吸血鬼が言ったのは、恨み言でもなければ悲鳴でもなく、
「人の話を聞くだけ聞いて、自分は話さないとは傲慢だな」
というなんともあっさりした言葉だった。
ラナが詠唱を唱え終わった時、そこに吸血鬼はおらず、代わりに大剣がずっしり重くなっていた。
「女ってのは欲深く傲慢な生き物なのよ」
聞こえていないのが分かっていながらも、ラナは大剣に向けてそう話しかけてしまう。
「にしてもやっぱこれもうちょっと改良が必要ね」
「だからそういったじゃないですか」
この大剣は以前ギリアムに試験を頼んでいたものに少し改良を加えたものだ。しかし使ってみての感想はまだまだ実戦配備には遠いな、であった。
このあとどう改良していこうかしら、と大剣を撫でていれば、ギリアムが不機嫌そうな顔を隠そうとせずラナとの距離を詰めた。吸血鬼とは違い、非常に人間らしい速さであったので避けることも可能だったが、そんなことをする必要はないのでそこにとどまる。
するとギリアムは血にまみれたラナの顔を手で拭った。しかし血は顔の上に広がるばかりで落ちてくれない。
当たり前のことだというのにギリアムはそれに対してでさえも苛立つようで、ちっ、と舌打ちを漏らしながらラナの部屋から勝手にタオルを見つけ出し、それをまたも勝手にキッチンで濡らし、ごしごしとラナの顔を拭き始めた。
暫く続けていたのだが、やがてラナの「ギリアム、痛いよ」という声に手を止めた。
「話ならあとで聞けばよかったのにどうして危険な道を渡ったんです」
不機嫌そうな声。むしろ、怒っているような声だ。
何に対して怒っているのか、それはラナを心配してのことだと分かったため、ラナは申し訳なさそうに眉を下げた。
「最悪の場合は君がどうにかしてくれるのわかっていたし、気分よくできるだけ多くの情報を引き出しておきたかったのよ」
ごめんね、と謝るラナを暫く睨み付けていたギリアムだったが、突然、
「あんな無茶はもう勘弁してください」
そう言うなり、ぎゅうと強くラナを抱きしめる。
背に回った手は小さく震えており、ラナは目を見開いた。