06:気配
「相変わらず仲良しさんみたいで安心したわぁ」
到着するなりそんなことを言ってのけたクラークの足をラナはまたも丁寧に靴を脱いでから踏んでいたが決して間違っていないはずだ。周りの団員たちは「そんなことをしている場合じゃありませんよね!」と無声音ながら怒鳴っていたし、ギリアムに至っては額を押さえて呆れきっていたが、間違っていないはずだ。
「や、でももう中におらへんのやし別に騒いだってええやん」
「いいわけないでしょうが。吸血鬼相手なんだからトラップありそうだし、そのために呼んだんだから早く解除してよ」
「んーせやなぁ。確かに催眠張られとるみたいやし、きりきり終わらせますか。……にしてもお前相変わらずそっち系ほんま苦手やなぁ」
からかい交じりの声に再び――先程よりも力を籠めて――足を踏みつけ、遮音障壁と人払いの術を発動する。これでこのフロアに関係のない一般人が出てくることはなくなった。それを確認してからクラークは片手をラナの部屋の扉にぺたりと当て、詠唱を唱え始めた。
そこまで来てようやく周囲が不思議なくらいに静かなことに気付いた。揃って疑問を抱き周りに意識を飛ばせば、
「一体、どういうことですかァ?」
額に青筋を立てつつも皆を代表して尋ねてきたギリアムに、説明が足りなかったか、とラナとクラークは顔を見合わせた。
「えぇっとぉ……とりあえず中にはもう何もいないわ。既に逃げられたあとでしょうね」
「気配はあるのにですか」
「相手は吸血鬼だからそう感じてるだけよ。軽い催眠で認識力鈍らされてるの。この場に来たら自動で発動するしかけだと思うわ。……あぁ、でも貴方が初めに感じた気配は本物よ」
だから貴方たちも中に気配があるように感じているでしょう、とラナが他の団員を見渡せば皆一様に驚きに満ちた表情で頷いて見せた。
だがギリアムだけは、ギリッと奥歯を噛みしめ、悔しさを露わに「……先輩は、気付いていたんですか」と静かに尋ねた。
「吸血鬼が逃げるタイミングも一応はね。でも吸血鬼に単体で挑むのは馬鹿のすることだから気付いてないふりをしてたの。ごめんなさいね」
今にも舌打ちしかねないような表情を浮かべながらも、「そんなことしねぇよ」と敬語の取れた口調で反論するギリアムに思わず笑ってしまった。
「ええ、ええ、君がそんなことをしないのは百も承知よ。でもこちらが気付いていることを口に出して吸血鬼に知られたら、君にそんなつもりが無くても単体で挑まなければならなくなっていたでしょうね」
尚も不満そうな表情を浮かべていたが、一応は納得してくれたようで、ラナから目を逸らし口を噤んだ。
そこでクラークの詠唱が止まった。「ラナ、鍵寄越しぃ」という言葉からどうやら入口のトラップは解除されたらしい。手にしていたキーケースをクラークに投げ渡した。
「ほな、レディの部屋に入るとしまっか」
仕事で来ているのかプライベートてきているのかわからなくなりそうなクラークにラナはそっとため息を漏らしながら、悔しげに俯いているギリアムの背を押して自宅に入った。
中に吸血鬼がいない、とわかっていてももしかしたらということがあるため警戒は怠れない。「何に罠が仕掛けられているかわからへんし、余計なもんに触れんなよ」という言葉に団員は従い、部屋へ入るなり武器を構えた。
「とりあえず、催眠だけは解いとくか」
「最優先事項に決まってんだろうがほんとなんなのあんたどこまで気ぃ抜いてんのよ」
「隊長いいから早く仕事してください」
ラナとギリアムに揃って厳しいことを言われるも、クラークは飄々とした態度を改める様子はなく、軽快な笑い声をあげてから詠唱を始めた。なお他の団員達は残念なことに三人の会話に口を挟めるほど図太くはなかった。脳筋と言われていようとも考える頭はあるのである。
「隊長と先輩が一緒に現場に来たとこ初めて見ましたけど、二度とないことを祈っときます」
「奇遇ね、私もよ」
良い笑顔で詠唱し続けるクラークを見ながらうんざりした顔で告げられたギリアムの言葉に、ラナは額を押さえながら同意せざるをえなかった。
待つこと数分、手早く最優先の催眠系のトラップが解除されたところで、クラークは先程のふざけ混じりの笑顔とは打って代わり、真剣さを滲ませた表情でラナを見た。
隊長がこんな顔をするなんて珍しいな、とラナの部屋に他のトラップが張られていないか確認していたギリアムがそちらへ意識を向けると、彼に対して面倒くさそうな感情を隠そうともせずにいるラナの姿が目に飛び込んできた。
「で、お前どこで寝るん? さすがにここへ置いてくわけにはいかんぞ」
「執務室に泊まるわ。本部だったらそう易々とは侵入されないだろうし」
「せやけど部屋には結界張っときぃよ。何もなかったとはいえお前が狙われたんや」
「わーってるわよ」
やれやれとでも言うように首の後ろを掻きながら「じゃ、あとよろしくね。余計なものに触ったらぶっ殺すから」とハートマークを語尾に浮かべ部屋から出ていこうとしたラナだったが、「お前ほんまにわかっとんのか」というクラークの呆れ声に足を止めた。
「ギリアム、ラナを本部まで送っていきぃ。お前なら安心やわ」
「りょーかいです」
既に玄関へと向かっていたラナを追うようにそちらへ足を進めれば、通り道にいたクラークが、
「俺が戻るまで絶対あいつから目ぇ離すな」
と耳元で囁いた。訝しげにクラークの顔を見るも、彼はそれ以上何も言うつもりはないようで、もう行けと言うようにひらひらと手を降られてしまった。
何なんだあの人は、と舌打ちを漏らしながらも、元よりそのつもりだったので素直にラナの元へ行く。ラナは「大袈裟ねぇ」と言いたげにしながらも諦めたような表情を見せた。
そして入室するときとは逆に、今度はギリアムがラナの背を押す。まるでエスコートするように歩きだしたギリアムを見て、クラークは「ふむ」と顎を撫でると、
「ギリアムの部屋に泊まるっちゅうんはなしやぞ。ことの次第によっちゃ呼び出すかもしれへんからな」
「ねぇ、お願い黙って。いや、死んでくれればそれでいいわ。お願い、死んで頂戴」
心底願って言われた言葉にクラークは「はっはっは」と軽快な笑い声を漏らすと、室内の捜索を再開した。
「もうやだあの男……」
疲れ切った声を上げ額を押さえたラナに、ギリアムは顔を引き攣らせながらも何も言えずにいた。