03:優秀な彼女
すっかり冷めてしまった珈琲を一気に飲み干し、PCの画面を睨み付ける。キーボードを叩く手は時間の経過とともに荒々しくなっていっているが俺に今そんなことを気にしている余裕はない。
(一刻も早くこっちでの仕事を終えてラナさんの部屋に行きたい)
それだけを考えてキーボードを叩き、周りの使えない脳筋共に仕事を割り振るのだが、なかなか報告は上がってこねぇし段々執務室は騒がしくなってくるしで正直そろそろ限界だ。
普段はラナさんの部屋で紙とペンを使い仕事をしている俺だが、残念ながら第三部隊執務室にて自分に割り振られた端末でなければできない仕事も存在する。
そのため騒がしい執務室へと足を運び、周りを睨み付けながら端末をたたいていたのだが、何を血迷ったのか上司である隊長より直々に、他の団員の報告書の監督を言い渡されてしまったためもう悲惨だ。
あの脳筋共にまともに報告書を上げさせるのがどれだけ難しいことかあの人は分かっているのだろうか。
―――わかってるからこそ、俺に押し付けたんだろうな。
思い出したら腹が立ってきたので舌打ちを漏らせば、近くにいた数少ない書類仕事のできるやつがビクリと肩を震わせていたが俺には関係ない。
だいたいあの人は何でもかんでも俺に押し付けすぎだ。「お前が一番俺の部下の中で仕事できるんやもん」と笑いながら言われたときは嬉しさよりもこの人の部下になってしまったことを後悔したものだ。
あの人当りの良いふりをして人をこき使う悪魔のような男はきっと魔物たちよりも先に退魔するべきだ。
だがあの人が膝をついている姿など見たことがなかったし本人も「俺が叶わない相手なんて片手程度やなぁ」と言っていたので、その言葉はあまり信じたくないが俺じゃあきっとあの人にかなわない。
だめだ。本格的に仕事に集中しないとこのままでは隊長にイライラするばかりで時間が過ぎて行ってしまう。
そう思い長い前髪を全てオールバックにし、PC眼鏡をかけなおしていれば、
「わぁこれは酷い」
聞こえてきた声に始めは幻聴かと思った。
だが色めきだす脳筋共の声で、聞こえてきた女の声が幻聴などではなく本物だとはっきりわかり、声の聞こえた方へぐるりと首を回す。
そこにはやはりというかなんというか本物のラナさんがいて、俺は思わず笑みを浮かべてしまっていた。
ラナさんはそんな俺に「なにその顔」と呆れたような視線を向けていたけれど、今の俺はそれさえも嬉しかった。
そーいうところをラナさんは変だって言っているのだろうけど、嬉しいことを嬉しいと表現することのどこが変だっていうのかさっぱりわからない。
―――ま、ラナさんが言ってるのは俺の嬉しさを前面に押し出した表情が変って言ってるらしいけど。
ラナさんは一言で説明するならば『変な人』だ。
もう少し詳しくするなら『変だけど優秀な人』だろう。
きっと彼女が俺を評価するときも同じことを言うんだろうなと検討付けるとなんだか楽しい。
彼女の開発・調整してくれる武器は性能が良い。
扱い辛いところもあるが、そこは先輩が調整してくれるおかげで非常に自分の手に馴染んだ武器へとなってくれる。
先輩と初めて会ったときは「何で女がこんなところにいるんだか」と思ったものだが、今では彼女がいてくれて本当に良かったと思っているくらいだからいっそ笑えてくる。
俺はあの人を非常に気に入っている。それこそ彼女の執務室に入り浸るぐらいには。
正直あそこでは先輩をずっと眺めて過ごしたいと思っていたのだが、そんなことをすれば追い出されるのが目に見えてわかっていたため、「本来の執務室で仕事ができると思っているんですか?」と情に訴える作戦にでた。
するとあっさり先輩の執務室での仕事の許可が下りたので、やり方を間違えなくて良かったと胸を撫で下ろしたのは記憶にまだ新しい。
あの人に興味が湧いたのは何をしても余裕綽々な彼女が、何をしたらその表情を歪ませるのかと思ったところが大きいように思う。
俺がどんなに態度が悪くても、無茶振りしても、あの人はたいていのことには動じず卒なくこなす。困ったように笑っていることもあるけどそれがただのポーズでしかないことは容易にわかる。
そんな彼女の表情を歪ませてやりたい。―――あァ、そういうところが変だって思われてんだろうな。
「で、どうしたんですかこんなところまで来て」
「あら用がなくちゃ来ちゃいけないの? ―――っていうのは冗談で。これ、君の忘れ物」
前者の言葉で止まっていたって俺は構わねェんだけどな、と半目になりながらもラナさんが渡してきたフラッシュメモリに首を傾げる。
(俺、こんなの持ってませんけど)
一応受け取ってから良く見てみるが、どう記憶をひっくり返しても俺はこんなの持っていないし使った覚えもない。
黙ったまま首を傾げている俺にラナさんはようやく「中身よ中身」と言ってきたが、全く意味が分からない。
先輩の渡してきたものってことはウィルスが入ってるって心配もねぇだろうし、繋いで確認してみるか、と自分のデスク上の端末にフラッシュメモリを接続すると―――
「……せんぱい、これ」
「紙媒体で整理したものをこっちにきて端末に入力してるって聞いてたから入力しておきました。勝手にごめんね。でも私の地位それなりに高いから機密書類だろうと基本は閲覧許可降りるんだ」
―――だから誤字修正とかその他情報違いのものとか修正入れちゃった
ごめんね、と再び謝る先輩の声は正直俺にはあまり届いていなかった。
先輩の作ってくれたデータは明日の朝一に提出する必要のある報告書類で、手元にないことは気付いていたので後程先輩のところへ行って端末に入力して、ついでに検証不足の点を洗い出して……と、兎に角脳筋共の監督次第によっては徹夜で作業しなければならないと思っていたものだった。
ラナさんの地位がどれほどのものか俺には分からなかったが、今気にするべきはそんな些細なことではない。
俺がこの書類をラナさんの元に忘れて行ったのは昨晩のことで、恐らく彼女が気付いたのは今日になってから。
そして朝一で彼女がデータを纏めるのはラナさんにだって仕事があるため不可能だとして、諸々考えると彼女は時間をかけたとしても一時間程度でこの完璧なデータ整理を終わらせたことになる。下手すると三十分やそこらかもしれない。兎に角一時間以内だろう。
ラナさんは何度も言うが優秀な人だ。けどここまでだとは思っていなかった。
そして気付いた時には唇が動いていた。
「せんぱい……だいすき……」
「………………うん?」
戸惑ったような先輩の声と、静まり返る執務室。
だが残念なことに俺はそれらに気付かず、眼鏡を外し顔を覆って「これで脳筋共の書類が終われば徹夜しなくてすむ……ほんとせんぱいありがとう……」と言ったのだった。