10:報告会という名の大騒ぎ
暫く、とはいっても時間にすればほんの数分の間、ラナを抱きしめていたギリアムだったが、「お前らどんなやぁ」というクラークの大声にはっと我に返ると、何事もなかったかのようにラナから離れた。早々にイワンにのされてしまったアダムのもとへ行くなり、その腹を蹴り上げて意識を戻そうとしている乱暴なギリアムを視界の隅に収めながら、ふうとため息を零す。
(何も言ってくれないんじゃ、お姉さん分からないよ)
だが何かを言われたところでラナとしてもきちんと言葉を返せる自信がない。だからこれで良かったのかもしれない。
ラナは心の中でそう結論をつけると、第二のスプラッタ会場を作り上げようとしているギリアムを慌てて止めに掛かった。
なお、第一の会場は吸血鬼自身ととラナの顔面である。
合流したクラーク以下数名の団員に付き添われ、本部まで帰る。部屋のほうはどうやら吸血鬼の催眠により、一般人にあの惨状は気付かれていなかったようなので、重ねるように追加で人払いの術をクラークがかけてくれた。後ほど後片付けにきたときに吸血鬼の結界もきちんと解いてくれるらしい。
しかし、後片付けといっても、あそこまで吸血鬼の血に塗れた部屋でまた暮らすのは正直変わり者と言われるラナと言えど丁重にお断りしたいのが本音である。が、それを言ってしまえばきっとギリアムが「なら俺の部屋に来ます?」といったり、クラークが面白がって「手続きはまかせときぃ」と言い出すのが目に見えて分かったので、一先ず考えないことにしよう、と現実逃避の道を選んだ。
本部に到着したところで、「また会議室開けてもらえばいい?」と尋ねたラナだったが、真顔のクラークに両肩を掴まれ、
「お前はその格好を一度どうにかして来い」
といつになく真面目な様子で言われてしまった。
自分の体を見るべく下を向けば、首を絞められた拍子にボタンが弾けてしまったブラウスと、それを隠すためにとギリアムから渡された青い隊服を身にまとっていた。―――うん、すぐにどうにかすべきね。
なおブラウスはボタンが弾けている以外にも、返り血でところどころべったり汚れていた。顔だけはどうにかしていたが、服に関してはギリアムから隊服を渡されるまで何も考えていなかったし、ぶっちゃけて言えば隊服を渡されてからも一切気にしていなかった。
しかし退魔師団はどちらかといえば男所帯。こんなぼろぼろでなんとも言い難い格好の女が闊歩していい場所ではないだろう。
「十分ちょうだい」
「一時間やるからシャワー浴びて綺麗にして来いこの馬鹿娘!」
遂には怒鳴りつけられてしまった。クラークにあんなふうに言われるのは何年ぶりのことだろうか、と思いながらラナは眉を下げ、「了解です」とシャワールームへ向かった。男所帯といえどまったく女性がいないわけではないので、男性用のそれとは別にあった。
ラナを見送った後、呆れて何も言えない、といった様子でため息を吐いたクラークだったが、すぐに気を引き締めると、
「十分後、第一会議室に集合しぃ。そこで報告会や」
と指示を出す。女性には一時間与えた彼だったが、男には容赦がない。とはいえ命じられた団員は特にシャワーを浴びる必要もなければ、下手すれば着替えすらも必要がないものたちばかりだったので問題ない。
因みにラナの護衛担当だったアダムとイワンの両名は、吸血鬼と直接接触したということで医務室に送られているのでこの場にはいない。後者に至っては催眠を受けていたので、現場復帰まで暫くかかるだろう。
同じく吸血鬼に接触したギリアムといえば、怠そうな様子を隠そうともせず、ラナの去って行った方を眺めている。その服には特に血液はついていなかったので、上手くかわしたのだろう。もしくはラナに貸した隊服がすべての血液を吸い取ったかである。ワイシャツに緩めたネクタイという出で立ちの彼に予備の隊服に着替えてくるよう指示を出すか一瞬悩み、まぁいいかと結論付ける。着替えたかったら自分から言いだすだろう、と思いながら、クラークは会議室の使用願いを申請すべく、己の執務室へと戻っていった。
「じゃ、じゃあラナ班長の部屋にずっといたんですか!? 夜も!? 寝るときも!!??」
あまりにうるさい怒鳴り声に耳を押さえ、「うるせえよ」とギリアムは小声で抗議した。その機嫌の悪そうな声に、怒鳴り声をあげた団員は両手で口をふさぎ、興奮で立ち上がってしまったのかすごすごと椅子に座りなおした。ギリアムは己よりも年上だというのに情けない、とちらりと思いながらも、そんなことを考えるのも面倒になり口を閉ざしたまま何も言わなかった。
シャワーを浴びに行ったきり戻らないラナはそのままでいい、というクラークの指示のもと、第三部隊の団員は会議室に集合し、何故ギリアムが現場にいたのかを説明した。
とはいっても完結的に
「隊長と交代で先輩の部屋で護衛しただけだ」
とただ告げただけである。その結果が上述の叫び声で、ギリアムは顔を顰めたのだった。
「え、え、夜もずっと、班長の部屋で、寝泊りってことですか!?」
「なんて羨ま、あ、あいやえっと大変なことを! お二人だけでなさったんです!?」
「そんなん、お前らやと気配完全に消しきれへんからにきまっとるやろ」
そこで漸く黙りこくっていたクラークが口を開いた。が、彼もまたギリアム同様にどこか面倒くさそうな口ぶりである。
しかし上司であるクラークの静かな声に騒いでいた団員たちは徐々に落ち着きを取り戻していった。それを見て、ギリアムは説明を再開する。
「先輩んとこの新作の姿隠しのマントを使って、あの人が帰る直前に部屋入ってずっと護衛だよ。ただあのマント、本当に姿を見えなくする認識阻害の術しかかけられてねぇから、気配を消せて動きが静かなやつでなきゃつかえねぇっつー実用化にはまだまだ遠い代物なんだよ」
癖の強い赤みがかった茶色い髪をがしがしとかきながら、面倒くせぇと舌打ちを漏らす。
この作戦を告げられたのは、ラナが家に帰りたいと言い出す一日前のことだ。
ラナの執務室に現れたクラークがいきなり、
「そろそろ罠を仕掛けたいんやけどなんかええもんあるか?」
という爆弾を投下したのである。呆気にとられたギリアムを置いて、ラナは肩を竦めると「そろそろ来る頃だと思ってた」と何でもない風に言ってのけ、引き出しから先に述べたマントを取り出し、説明した。
その説明を聞き終えるなりクラークは満足そうに頷き言った言葉に殴りかからなかった自分をほめてやりたい気持ちと何故殴らなかったと後悔する気持ちが、全てが終わった今になって衝突する。
「じゃ、囮役頼むな」
ふざけるな、と怒鳴ってやればよかったのだが、あまりにも自然に言われたのでギリアムはその意味を理解するのに時間を要してしまった。彼にしては非常に珍しいことだ。
「いいけど、具体的にはどうするの?」
「お前の部屋に罠張って、俺とギリアムがその場にはいないように見せる。で、危なくなる手前まで様子を窺い、やばいところで確保っちゅう簡単な作戦や」
「簡単なのは説明だけであってやることめちゃくちゃ面倒じゃないのよ!」
ラナが靴を脱いでクラークの脛を蹴り上げた。鈍い声をあげて蹲ったクラークを、いい気味だと思いながら見ていたギリアムだったが、作戦の中に己の名があったことを思い出し、「はあ?」と思わず声をあげてしまった。
「どうかしたの?」
「その作戦、俺も参加すか?」
「まー杜撰な作戦だけど、君とクラークの二人がやるなら可能になるかもしれないし、これで行くなら協力してもらわないと困るかな」
苦笑し告げられた言葉にギリアムはグッと何も言えなくなる。認めたくないが、己がラナに弱いことをよく分かっていた。彼女に惚れているだとかそういう話ではないのだが、どうにも彼女の言葉に逆らう気にはなれない。とはいっても何でもかんでもYESマンのように頷くばかりでいるというのはギリアムの性格上ありえず、憎まれ口を叩きながら協力する、というのが常であった。
そんなわけであるからして。
「ちっ……了解です」
様式美となりつつある舌打ちをしたのち、了承の言葉を述べたのであった。