面接取り付けたら一話終わってた
その日はいつもとたいして変わらなかった。俺は相変わらず定職に就くことが出来ないし、唯一受かったコンビニのバイトも、始めてひと月で既に辞めさせられそうである。
いつまで経ってもフラフラとする俺には、もう期待してくれる人など一人もいない。実の親ですら家族とは思ってくれてはいないだろう。こうなると俺は、生きているのか死んでいるのか、最早分からないような状況だ。
しかし、本当に死んでしまうのは怖い。こんな生活でも、いつか報われる日が来るのだという、淡い期待がまだ心の底に残っているからなのかもしれない。
とりあえず最低限の食事は摂ることが出来ているから、空腹で野垂れ死ぬようなことはないと思う。
「お先に失礼します」
手早く帰る支度を済ませ、愛用の黒いリュックサック(とはいえ鞄はこれ一つしか持っていないのだが)を乱暴に背負うと、コンビニの裏口から外へ出た。気温は、思っていたよりもずっと低い。心なしか早足になっていく。
ふと、アルバイト募集のチラシが目に止まった。詳細はよく分からないが、時給は高めだ。人を助ける、みたいな仕事内容が書いてある。便利屋みたいなものだろうか。募集人数が一人だけとなっているから、もしかするともう募集は締め切られているかもしれない。
それでも、まだ間に合うかもしれない。少しの希望を抱き、壁に貼られていたチラシを剥がして背中の相棒に突っ込んだ。思いがけない拾い物に、久しぶりに胸が踊った。下手くそな鼻歌と共に入った我が家の空気は、いつもよりずいぶんと軽く感じたのは気のせいではないかもしれない。
温水なんてここ数年出ていない蛇口を捻れば、気温よりずっと低い温度の水が溢れた。
いつだったか。馬鹿は風邪をひかないなんて誰かが言っていたが、ここで風邪をひけば、何ヶ月分の給料が無くなるのかは馬鹿にでもわかる。
しんと静かな部屋に馬鹿な男のうがいをする音が響いた。
形ばかりと思われたものの、風邪予防にいくらか満足した俺は、台所から二歩もない居間へと床をキーッと軋ませながら移動した。幸い、どこも抜けている床はない。
ところどころ逆立っていてチクチクする畳と格闘しながら、綿なんてひとつも感じられない座布団に腰をおろした。精一杯伸びをして、控えめな大きさのちゃぶ台にリュックサックを引き上げる。
「アルバイト募集……」
先ほどのチラシを鞄から引っ張りだして、机に置きながら呟く。ほとんど情報を得られないが、下の方に書かれている電話番号にとりあえず電話しろということらしい。うちに電話はないし、もちろんのこと、携帯電話も持っていない。ここから一番近い公衆電話まで走って三分。
仕方がない。善は急げってヤツか。
右手にチラシを握りしめ、左手で十円玉をいくつか取り出す。三十円もあれば十分だろう。サッと立ち上がり、建て付けの悪いドアを開くと、冷たい風が吹きつけて俺は身体を震わせた。おんぼろアパートでも、部屋の中に入れば結構暖かいものだなと痛感する。
公衆電話の前に来る頃には、すっかり息があがっていた。何度か深呼吸を繰り返して、心も落ち着かせた。
二、三回電話番号を読み上げてから、三十円をそっと入れて、読み上げた通りにボタンを押す。受話器を耳に当てると、久しぶりに聞いたような呼び出し音が流れた。
「はい。こちらアドバンス・レウクノック本社でございます。どういったご用件でしょうか? 」
落ち着いた女性の声がした。受付の方だろうか。それにしても、変わった社名だな。そんなことがチラシに書いてあったかまでは、覚えていない。
「夜分遅くに失礼します。アルバイト募集の広告を見たのですが……」
「あぁ。面接希望の方ですね? それでしたら、今時間と場所を伝えますね。筆記用具はお持ちですか?」
しまった。何も考えずに家から出てきてしまった。もう俺はチラシしか持っていない。
「すみません、今持っていなくて」
「いえ、なくても大丈夫です。それほど多くはないので。では、土曜日……明日ですね。明日の午後五時に、葉尽駅前の円柱状のビルはご存知ですか? その三階の会議室に来ていただきたいのですが」
「葉尽駅前のビル……ああ、隣にドーナツ屋のある、ガラス張りのビルですね?」
「はい、恐らく私どものビルです。明日の午後五時に、三階の会議室に。一階の受付に私が居ますので、声を掛けていただければご案内いたします。服装は正装でなくても構いません。筆記用具と履歴書をお持ちください」
「はい……筆記具と履歴書ですね。分かりました。ありがとうございます。では、明日の午後五時に伺います。お疲れ様です。失礼します」
電話をとった受付の方は優しそうな方だし、なかなか悪くない会社かもしれない。アルバイトだから清掃とかだろうか。とにかく、今のコンビニよりは良い環境で働けそうだ。受かればの話ではあるが。
家に着いた俺はすぐに寝る準備を済ませて、いつもより少し早く布団に潜り込んだ。履歴書は明日、用意しよう。そういえば証明写真を切らしていたな。午前中にでも撮りに行くか。履歴書はまだあまりがあったはずだ。ボールペンも、切れてないやつがあったな。
考えているうちに、深い眠りに落ちた。