或る黒猫の話
人間は実に厄介だと思う。
以前迄無かった『くるま』なる物やらを異国から教えて貰い自分達で造り、ついこの間迄木造ばかりだった此の街も、洋式建築の街へと変わっていった。
此の国の元号は『たいしょう』から『しょうわ』に変わって十数年。
私もそろそろ年だ。
此の年にもなると、昔の事を思い出す。
そうそう、確か、何時の日か、不思議な男が私に話し掛けた事があった。
男はまだ十月だと云うのに厚着をしていた。
黒い山高帽、黒いコート、黒いスラックス、黒い靴だったが、ワイン色のマフラーと男の癖にやけに白い肌と、群青色の双眸が印象的であった。
あの男は今、何をしているだろうか。
やけに気になった。
そうだ。あの男は私に、こう云ったのだ。
「此れから、ーーちゃんの為に『じっけんたい』になって来るんだ。此の普通の人間の身体とも今日でおさらばだった。君の様な綺麗な瞳を持った黒猫に会うなんて、嬉しかったよ、さよなら」
普通、黒猫は不運の前兆とも云うのに、おかしな男だ。
確かに私の瞳は普通の黒猫と違い深緑色だ。
正直此方としても嬉しかった。
『じっけんたい』とは、何であろうか。
私は解らなかった。
『実験体』の意味が理解出来たのは此れから数年後、此の国が異国を敵に回し大戦争となった頃。
『研究室』なる所に私自身も『実験体』として連れて来られ、あの群青色の双眸を持った男と再会した時だ。